私は先生という仕事を通してですが、優しかった時期と、そうでない時期がありました。

優しくなれなかった時期は我慢していたからです。

お恥ずかしい話ですが、先生を辞めると決めた最後の1年は何もしませんでした。

以前は勝手に動くかのように「楽しませよう」と行動していたことがパッタリです。

 

誰でも優しくなれる

誰でも人を愛せます。

ただ我慢を最上とすると、愛情の蓋になります。瓶に蓋がされて注げないイメージです。

 

ほしいものをそのまま買えていますか。

ちょっとした贅沢に抵抗があったり、休むことや頼ることに抵抗がないでしょうか。

 

「我慢していれば幸せになれる」

そんなアリとキリギリスの寓話をごく自然に受け入れてはいないでしょうか。

アリのように節約と貯蓄が災害時に役立つときはあります。

ただキリギリスの生き方も人生を謳歌する意味で正しいんです。

 

問題が発生するのは、「我慢しすぎのアリ」と「遊びすぎたキリギリス」の場合。

「遊びすぎたキリギリス」に説明は要らないかと思いますが「我慢しすぎのアリ」も異変をきたします。

 

我慢は感情を抑えます。

ガマン大会では暑さや寒さを気にしないようにするでしょう。

感情も同じで我慢を続けると、嬉しい、悲しい、愛しいといった感情がなくなっていきます。

 

「子どもを愛せない、優しく出来ない」

そう感じることは誰にでも訪れます。

プライベート、仕事で、辛い経験や我慢を強いる言葉を身体に入れていくと感情が閉じていきます。

気づかない間に、感情に蓋がされて流れでなくなります。

 

プチ贅沢、気晴らし、誰かに頼ること。

 

これらは悪いことでなく、善いことです。

気晴らしとは自分に嘘をつかないこと、誰かを頼るのは信頼の証です。

 

子育てはありのあまの方がうまくいきます。

「我慢するのが正しいことだ」抑制するのは会社や学校では褒められますが、子育てでは逆の作用をします。

 

「こんなことしていいのかな?」と抵抗あるかもしれませんが、とんでもないことになったりしないでしょう?

簡単なことでいいので「優しくなれない・・」「愛情が薄まったのかな」と感じたら、素直な行動を心がけてください。

 

変化を感じたらしめたもの。今度同じことがあっても元に戻れますよ。