学校や先生の考える自信と世の中で役に立つ自信とはちょっとズレがあります。
先生の考える自信とは「出来る、出来ない」です。
でもそれは実は役に立たないんです。
これは別に障害の有無にかかわらず誰でも同じですよ。
「出来る、出来ない」では自信はつきません。
なぜなら出来ないことにぶつかることは必然です。そして世の中には自分より出来る人に必ず出会うからです。
本来の自信とは「自分は自分でいいんだ」とありのままの自分を肯定できるかなんですよ。
例えば失敗しても「ま、いいか」と思えるかなんです。
理解を深めるにいい漫画があります。
スラムダンク作者の井上雄彦氏の漫画に「リアル」という作品があります。
この漫画を題材に「揺るがない自信」を解説します。
間違っている自信の捉え方
主人公に高橋久信(たかはしひさのぶ)という高校生がいます。
![](http://yume-kanyau.info/wp-content/uploads/2017/07/久信ランク気になる.jpg)
「何をやってもトップクラスの俺」と言っているのが高橋です。
高橋は人をランク付けする性格です。
高橋は自信満々のようにみえますが、それは虚像です。本当は自信がないのです。
「自分は周りからどう思われているんだろう・・」と不安でたまらないのです。
「自分はこの場所でどのポジションにいるんだろう?」と考える機会はありますよね。
揺るがない自信がない高橋はそれが不安が露骨です。
高橋は「勉強も運動もルックスも優秀な俺はAクラス」と考えています。
![](http://yume-kanyau.info/wp-content/uploads/2017/07/久信の母17.jpg)
ただ高橋は交通事故により障害をもち、歩けない身体になりました。
リハビリのため留年が確定。運動も出来ないようになります。
「自分は周りからどう思われているんだろう・・??」と不安な高橋はこの状況に絶望します
![](http://yume-kanyau.info/wp-content/uploads/2017/07/eより下.jpg)
「車椅子の障害者」
「高校中退」
「Eより下かよ」
不安が怒りに変わっていますね。
高橋は交通事故で急に「出来ない自分」と向き合うことになりました。
でも誰でも「出来ない自分」と向き合うことは必ずあるんです。
だから「出来る、出来ない」にこだわると行き詰まるんです。
ただ特別支援教育の先生の仕事は「出来る、出来ない」なので、ここらが問題なのです。
「出来ることを増やす」は生活が便利になるなどの恩恵はありますが「揺るがない自信」が身につかないのです。
あなたはあなたのままでいい
「自分は周りからどう思われているんだろう・・?」
それを吹き飛ばす揺るがない自信の身に付け方、考え方です。
高橋の友人に「本城ふみか」という女性がいます。
![](http://yume-kanyau.info/wp-content/uploads/2017/07/ふみか.jpg)
ふみかは高橋が交通事故に遭う前からの付き合っているような付き合ってないような微妙な関係。
ふみかは高橋が障害を持つようになっても変わらない態度で接しています。
高橋それが不思議でしようがないようです。
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ふみかにとって歩けようが、歩けまいが高橋は高橋なんです。
この感覚が揺るがない自信です。
揺るがない自信とは「出来る、出来ない」能力やテストの点数など評価できるものではないんです。
「私は私のままでいい」と思えるかどうかです。
「自分は周りからどう思われているんだろう」という発想を抜けることが揺るがない自信を持つ道です。
「高橋」から「ふみか」になるためには
高橋は「歩けなくなったら俺はもう終わりだ」と思っています。
![](http://yume-kanyau.info/wp-content/uploads/2017/07/悪態の高橋011.jpg)
高橋の考え方がよく分かります。
「出来ない自分は終わり」つまり「俺は俺のままでいい」と思えないんです。
「歩けなくなってもアンジェリーナはアンジェリーナじゃん」と思うふみかとは真逆ですね。
ただ高橋が「出来ない自分は終わり」というのは理由があります。
高橋の母が高橋と同じ発想なんです。
母は事故により、高校中退となる高橋に耐えれません。なんとか復学させようとします。
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![](http://yume-kanyau.info/wp-content/uploads/2017/07/久信の母10-1.jpg)
また高橋の勉強の成績が優秀なのも誇りにしていました。
「歩けなくなっても、高校中退してもこの子であることに変わりはない」と母親は思えないんです。
つまり母親の考えがそのまま高橋の考えなんです。
「歩けなくなったら終わり」というのは親子ともにあるのです。
揺るがない自信とはまず親が子に「あなたはあなたのままでいいんだよ」と思える事から始まります。
「あなたのままでいい」と思えない方は
「子は親の鏡」です。
高橋の考えは母親の考えそのままでした。
ただ高橋の母自身も「あなたはあなたのままでいい」と思われずに育ってきた経験があるのでしょう。
高橋が悪いのでもなく、母親が悪いのでもありません。
高橋の母親自身も世間の評価や成績などを気にして育てられたのだと思います。
でも、本当はみんなありのままの自分でいいんですよ。
「こうあるべきだ」という正義の考えは自分を苦しめます。
子育てには大原則があります。
それは子どもを成長させるのは正しさではなく愛情である、ということです。
正しいで考えると周りの意見が気になります。出来る、出来ないに目がいきます。
そうではなく無条件で「あなたはあなたのままでいい」と思える愛情を第一に考えてみてください。
お母さんもありのままでいいんです。
同じようにお子さんもです。
そう思えたときに揺るがない自信が身につきます。