たまたまテレビを点けたら流れてるような動物や風景の番組に心奪われることありませんか。

理由は人間はどこまで行っても結局は動物の一員。自然を求める心があるのだと思います。

 

私たちの生活は便利になりました。

その代わり不自然になりました。自然に生きてない人ほどこういった自然の風景に心奪われるのかもしれません。

 

「自然に生きてない」とは都会か田舎といった問題でなく。

「自分に素直か?」という心の有り様の問題です。

 

好きなものを好き、イヤなモノはイヤ、望んだことをやっているのか、見栄や嘘をついていないか。

 

学校に行ったり、会社に行ったりすると不自然な行為が増えていきます。

会社は給料という報酬がありますが、学校はありません。

ただ先生の定めた正義があり従うだけ。

「将来のため」と言いますが、どこまで役に立つのか。

 

ちょっと言い方悪い気もしますが、学校の正義とはどこかの部族にある”掟”のようなもの。

部族を出たら掟も変わります。学校を出たら正義も変わります。

 

掟を守るよりもっと当たり前なものがある。

それが自然に生きる、ということです。

 

・・・というとふわっとした表現なので自分の気持ちに正直になる、ということです。

 

夢や目標はありますか?

心から笑えているでしょうか?

気の許せる友人や仲間は?

 

生活の場が自然ではなく生き方や考え方が自然かどうか、です。

 

ストレスの原因はそれが不自然だから、です。

不登校の問題も感じたことに素直になれない事から生まれます。

 

イヤと感じているのに、前向きに、負けずに頑張る。

それは不自然です。

 

世の中で生きるには「掟を守る」という心に反する不自然なことも必要でしょう。

 

ただ「素直でいるのが自然。反するのは不自然」と考えて不自然さに入るのか。

それとも「掟を守るのが素晴らしい人間だ」という視点でいるのか。

 

この微妙な意識の差が大きな結果の差を生みだします。

一つ言えるのは学校は「掟を守るのが素晴らしい人間だ」という世界です。

 

「これを信じろ!」というのが好きではないので言いたくないですが。

「素直でいるのが自然。反する方が不自然」という態度で不自然な世界に入ることをオススメします。