見込み違い、計算違いは山ほどあります。

この記事書いているの9月28日。最近、新聞を賑わせている話題もそう。「え?そんなことが起こるんだ」と驚くことが起きています。

※具体的に書くと”色”がつくのでぼやかしますが。

 

世の中も個人も「こうすればこうなる」とはいきません。

リモコンのスイッチのように操作できないのが人であり当たり前。

「操作できる」と思い込むほど落とし穴にハマります。

 

私たちは親の思い通りに育ちましたでしょうか。

どこかで反発し自分で選び、人生を築いてきたはずです。

それは私にもあなたにも”想い”があるからです。

 

私たちが自ら選び取って今の世の中を作っているように。

子どもたちも自分たちで選び取って未来を築けばいい。

 

私たちは教えすぎているのではないか?

 

この視点が今、必要です。

学校がこの視点を持つのは無理です。反対の教え込む方向に舵を切っていくでしょう。

 

家庭がその調整役になれるかが鍵です。

 

私たちは親の希望を叶えるために生まれてきたのではない。

だから自分で選び、今の世の中を作りました。

子どもも同じでいい。それが当たり前。

やってはいけないのは子どもたちの「生きよう」とする想いを奪うこと。

 

想いをなくしたときが人の終わりです。終わらせてはいけません。続けるんです。

 

私たちは教えすぎているのではないか?

 

この疑問を一度投げかけてみてください。