私は特別支援学校で先生をやっておりました。沢山の保護者の方とお話させていただいて、お子さんの小さいころから今までの話を聞いて。その中で「子どもが急成長した」「落ち着くようになった」そういったことには共通項があります。
その共通した事例の中から一つ。
特別支援学校に通う子のお母さんが外で仕事し始めるとどうなるのか、のお話をいたします。
障害ある子は周りには大人が多すぎる
とある自閉症の男の子の話です。
彼は今はもう作業所へ通って毎日働いております。少し専門的な話をすると彼は知的障害や自閉症の度合いからみて「かなりの出世頭」です。
どういうことかというと、自分の能力を最大限に発揮していて、電車通学や一人での移動、買い物や趣味や仕事、家のお手伝いまで多くを一人でこなしています。
かといって真面目一辺倒で堅物では決してなく、やんちゃもします。私自身、彼のやんちゃのフォローをしたことがあります。
でもそんなの全然苦にならないのです。
これは私が特別なのではなく他の先生も言っていました。
「この子ならまぁいいか」と思わせる要素があるんですね。要は周りから好かれているのです。
そんな自閉症の彼のお母さんと仲良くなることが出来まして。
この男の子の秘密を探っていったのです。
きっかけはお母さんが仕事を始めたこと
「どうやってこんな良い子に育てたんですか?」と質問すると「いやー、私ほったらかしでしたよ」とのお返事。
特別どこかの訓練をしたわけでもなく、特別な勉強をしたわけでもない。
むしろ「私はちょっといい加減な母親かな??」と周りと比較して悩んだこともあるそうです。
お母さんの話を聞いていくと「私が働き始めたのが良かったのかな」とおっしゃっていました。
お子さんが小さいときは「この子のためになんとかせねば」と必死だったそうです。
でもある程度大きくなって「そうか。この子はこういう感じで育って行くんだな」と思ったそうです。
そして『私も何か始めよう』と思って今やっている仕事を始めたとか。
「障害があるから」と頑張るのか
私は先生やってて痛感してますが「子どもたちにきめ細かい教育をすること」を非常に良いこと、欠点はない、と思いすぎているのではいでしょうか。
何にでも一長一短あるようにきめ細かい教育にも欠点はあるんですよ。
親や先生が「もっと出来ることを」「こうやった方がうまくいく」とやればやるほど奪われていくものがあります。
それが主体性や自主性、判断力。そして喜びです。
ただ学校の先生は先生のいうことを聞く子、無茶な行動をしない子を高く評価します。
だから主体性や自主性や判断力には興味を示しません。
例えばこんな話聞いたことないでしょうか。
先生が「〇〇ちゃんが悪いことしたら叱ってね」といって子ども同士で注意させあったりします。
「〇〇君授業中に静かにしないとダメ」
「〇〇ちゃん授業始めってるよ」
などです。
ただその注意は子どもがやり過ぎるといざこざが起きたりしてトラブルの元になったりします。
トラブルになりそうだと先生はどうするか。
「もうやらなくていいから先生に任せて」といって先生が前に出てくることが非常に多いはず。
『どないやねん!?』
と内心ツッコミいれてしまうのです、私は。
自主性や判断力を養いたいなら、先生は前にでずお互い話し合う機会を設けるなりしてそれを続けるべきです。
それを「トラブルになりそうだったら止めさせる」というのならそれは何のために始めたのか。※ていうか生徒同士で注意させるのもどうかと思いますが。
「トラブルになりそうだったら止めさせる」というのは子どもを管理することしか考えてない証拠です。
全員がそんな先生ではないんですけどね。
でも基本的に先生って自主性とか行動力とか判断力にに興味がないのです。
学校ってガチガチだから
とはいえ学校が変わることはありません。
でもご家庭なら変われます。
だから私はこうやって保護者の方に直接配信しているのですが「私も外出て働きたいわぁ~」とお思いなら。
思い切ってやった方が良いですよ。
全般的な話ですが、障害ある子の周りは大人の目が多すぎます。
だからちょっと目を離す方が丁度良い。大人の目が離れると自分で考えて行動するようになるのです。
「お母さんが育児から離れて自分の時間を持つようになった」
こうなることにより子どもの状況が良くなった例は多くあります。
今現在「働こうかな・・・」と悩んでいるのでしたらGOです。親や先生など大人が離れることでの成長があるんですよ。