私は滋賀県で障害者スポーツボッチャの団体運営をやっています。
私は以前は特別支援学校で先生をやっていました。ボッチャを始めたのは私が先生をやっていたときからです。
学校の生徒らを集めてボッチャ団体を立ち上げたのです。
ただ自分から立ち上げたのではなく、流れによってそうなりました。
私はたまたまボッチャに詳しかったのですが、学校に「ボッチャに詳しい人を探している」という車椅子に乗る男の子がいたんです。
最初私は彼と面識がなく、偶然に偶然が重なって「ボッチャをしたい子がいる」という情報を私がキャッチ。
「話を聞いてみよう」ということで彼と色々話していると「何か夢中になれるものを探している」ということで「ボッチャがしたい」とのこと。
かれこれもう6,7年前の話ですが、それがきっかけで彼は大きく成長し、成人した今でもボッチャを続けています。
それは私だけではなく、周りも本人自身も認めていることです。
彼の変化とその理由には、障害ある子どもたちが本当に望んでいるもの、成長できるヒント、「生まれてきて良かった」「今が幸せだ」そんな瞬間を感じるための一つの答えがあります。
「自分に出来る事は何だろう」「何に夢中になって生きていけばいいんだろう」そんな悩みを持っている人、周りにそんな悩みを持ってそうな人がいる方は是非読んでみてください。
人生が変わるヒントになるかもしれません。
まずは知識から。ボッチャとは何か。
ボッチャとは重度の身体障害ある人も参加できるスポーツです。
ボッチャはパラリンピック種目です。パラリンピックで最も障害が重い人が参加するのがボッチャです。
私はボッチャにのめり込む前に「他にもっと良いスポーツあるんじゃないのか」と他の競技を検討したことがあります。調べた限りこのボッチャが最も競技性が高く、かつバリアフリーなスポーツだという結論に達しました。
「重度身体障害ある人でも参加出来て、レクリエーションではなく競技性が高いのがボッチャである」とお考えください。
実際に「他のスポーツは参加できないけどこのボッチャは参加できる」「ボッチャが生きがいです」と語る選手は多くいます。
重度の身体障害ある人たちが望んでいるものは何か
私は小さい頃から「自分の夢ってなんだろう」「これが好きって言い切れるものがあるのかな」「何かに夢中になっていたい」そんな憧れをもっていました。
それは重い身体障害ある子も同じです。
「ボッチャに詳しい人を探している」という彼も「何かに夢中になって取り組みたい」という想いがあったんです。
彼はネットを使い自分が出来そうなスポーツを探しました。その結果ボッチャというスポーツがあることを知りました。
彼の周りにはボッチャに詳しい人間がいません。また親の援助が受けられる状態ではなく、始めるには学校の先生の協力が必要です。
彼は周りの先生に「ボッチャをやってみたい」という気持ちを言っていて、それが周り回って私の耳に入ってきて、彼はボッチャが出来るようになりました。
でも、そうなるまで1年以上かかっているんです。
私がその学校にいなければそれ以上かかったか、永遠に出来なかったかもしれません。
彼の通う学校にボッチャのボールはありました。
またボッチャとは複雑なスポーツでもなく、その気になれば始められるものです。
これは彼の周りにいた先生たちを非難しているのではなく、「重い障害ある子どもたちから見える世界」を説明する意味で言っています。
彼らには私たちと同じ「何かに夢中になりたい」「自分の好きなこと、得意なことって何だろう」といった自分らしい生き方を求める心があります。
でも身体は思うように動かないんです。
でも気持ちはあるんです。「自分らしい生き方は何だ?」という気持ちです。それでも身体は思うように動かないんです。
私は特別支援学校で先生をやっていたので、先生の仕事とは何なのか、が分かります。
先生とは世の中にあるルールや常識や勉強など「枠」を教える人です。
生まれた頃は子どもは家庭の「枠」しか知りません。
そのままでは社会性が身につかないので学校へ行って「世の中には色んな枠があるんだ」と学ぶ必要があります。
そうやって世の中にある「やっていいこと、悪い事」を身につけて大人になっていきます。
先生は「枠」を伝える人です。学校は「枠」を教えるところ。それは小学校でも中学校でも特別支援学校でも同じです。
ただ障害ある子では事情が違うはずです。
なぜなら、本質的に人は誰でも「自分らしく生きたい」と願うものです。
障害のない子は別にいいんです。自分で生きる術を身につけ、自分らしさを見つけることが出来るかもしれません。
でも重度の身体障害ある人、例えば車椅子の彼がボッチャを知ってから始めるまで1年以上かかったように「やりたい」と思ってもそれをサポートする人に出会わなければ始められないんです。
現在の特別支援教育はどうでしょうか。
「出来ることを増やそう」「就職して働こう」といった方針で支援学校や支援学級は進めていますが、そこに「自分らしさ」があるでしょうか。
障害の重い子ほどやりたいことを見つけても、自分一人では始められないんです。
なのに周りにいる大人たちが「世の中はこうだ」「働いて世の中に貢献しよう」という「枠」を教えるだけでは、彼らはずっと好きなことややりたいことが始められないのではないでしょうか。
これが重度の身体障害ある子から見える世界だと私は想像しています。
私は「もし自分に重度の身体障害があるとしたらどうだろう」と考えたことがあります。
「何に夢中になって生きていけばいいんだろう」と悩んで、その答えになりそうなボッチャが見つかって、でもどうにもならないと分かったら絶望的な気持ちになるんじゃないか、そう思いました。
重度の障害ある子にとって世界は周りの大人たちの意識によって大きく変わるんです。
それは自分一人ではどうしても越えられない壁があるから。
障害のない子はいつかは壁を越えられるかもしれません。学校の先生は基本的に障害はないので自分で乗り越えてきたことでしょう。
でも彼らは違うんです。誰かの助けがないと越えれない壁が目の前に立ちはだかっています。
壁を乗り越えたり壊したら、そこに自分らしい生き方が見つかるかもしれません。
だから彼らは目の前にある壁を前に立ちすくしています。自分では壊せないけど、壁を壊してくれる誰かを探しているはずです。
でも学校の先生は「枠」を教えます。
本当に「枠」を教えるだけでいいんでしょうか。
特別支援教育の特別は「枠」を教える方法が特別なだけで、それ以外の支援はしないのか?と疑問に思います。
今の重度の障害ある子にとっての特別支援教育の世界はおそらくそういうものです。
彼らは「自分らしく生きたい」と願いますが、目の前には壁が立ちはだかっています。壁を壊す方法は分かりません。
学校の先生は「枠」を教えてきます。
「違う。そんなことを知りたいんじゃない」きっと彼らはそう思っているはずです。
ボッチャを始める前と後の変化
「ボッチャをやりたい」と言っていた彼は私と一緒にボッチャを始めることになりました。
彼が家から離れて学校に隣接する学生寮で平日は過ごしていたので、夜も学校に来ることが出来ます。
最初は私と彼の二人で夜中の体育館でボッチャをしていました。
彼は同じ学生寮で生活する友達を連れて3、4人で夜中の体育館でボッチャをするようになりました。
彼は昼間に学校に通う、同じ車椅子に乗る友人にも声をかけ、休日にもボッチャをするようになりました。
やがて学校にいる仲間と私で「ドリームス」というチームをつくりました。メンバーは増えていき13名に至りました。
その年に滋賀県で初のボッチャ大会をドリームスのメンバーで行いました。
この頃の彼はどうなっていたか。
授業では「僕はやらない」と非積極的だった姿が「やる」という姿に変わりました。
身体訓練では本来的には必要ないですが「ボッチャのために」ということで身体を動かしていました。
実際に車椅子に伏せるような姿勢が常だったのが背筋が伸びるようになっていました。
そして一番大切なのはこれです。
彼は「死にたい」と言わなくなったんです。
ボッチャを始める前は周囲の人間に悩みを打ち明けていたそうです。
自分のやりたいことが見つからない。
周りの友達は自分より身体が動いて、それぞれに楽しみを見つけている。でも自分には出来るものがない。
でも、ボッチャで彼は自分のやりたいことが見つかったんです。
「枠」を教えることじゃないんです。
彼らが知りたいのは「枠」ではなく「自分らしい生き方」です。
「自分に出来るスポーツが1つ見つかった」みなさん、それだけで人生観変わりますか?変わらないですよね。
出来るスポーツがは沢山ある人は変わらないんです。例えスポーツでなくても音楽でもダンスでもやれることは何でもあります。
その中で感動するもの、心が動くものがその人らしさです。
でも身体が思うように動かないと参加できる活動そのものがないんです。
自分はスポーツで感動するのか、絵を描くのが好きなのか、楽器を弾くと心が踊るのか、そういった自分らしさが分からないんです。
彼がボッチャを始めて前向きになったのは「自分らしい生き方」をそこに見いだしたからです。
世の中のルールやマナーなどの社会性は大切です。それがなければ人の間では生きていけません。
だから学校や大人は子どもに「枠」を教えます。「やっていいこと、悪いこと」を教えるということです。
でも重度の身体障害ある子の場合、それだけじゃ不十分なんですよ。なぜなら彼らの目の前には壁が沢山あって一人では壊せないから。
壁を壊せば、自分らしい生き方の道がそこにあるかもしれません。
でも壊し方が分からない。先生は「枠」だけを教えてくる。
先生の言うとおりにやれば褒めてくれます。でも彼らの気持ちは空虚なはずです。そこに「自分らしさ」はないですから。
その状態がいつまでも続くから「死にたい」という気持ちになるんです。
障害ある子にとって必要なのは「自分らしさ」です。
今、身体障害ある子で元気がなかったり、意欲的でないのは大人が望む「枠に沿った行動」ばかりをしているからではないですか。
周りの大人の意識が変われば、それだけその子の可能性が広がります。
「自分らしさ」を育んでください。
小さい子であれば「自分の好きなものは何か」を探すため色んな場所へ行き楽しい経験をさせてください。
大きくなってきたら、その楽しかった事の中から「これかな?」「違うかな?」と選ぶようになります。
そしたら出来る限り一緒に探す手助けをしてください。
まず「自分らしさ」からです。それが見えるようになってから「枠」を学ばせてみてください。
目の輝きが変わります。勉強や訓練への意欲も上がります。
大人になった頃は「これが自分にとっての生きがいなんだ」と言えるようになっています。