最近、小学校ではエレベーターあるのがが普通になってきました。設備面が整ってきたことにより車椅子に乗る子も地域にある小学校に通う光景が当たり前になってきたようです。今回、そんな地域の小学校に通う車椅子に乗る子向けにかいております。
私は以前は特別支援学校で先生やってました。また身体障害を持つ子が取り組むボッチャというスポーツの団体運営もしているので事情通です。
というわけで多くの人から情報を集めた車椅子の子が小学校に入る際に気をつけるべきことを解説していきます。
車椅子の子から見える小学校という世界
全般的に車椅子に乗る子は人柄優しい子が多いな、と感じています。それは視覚的に「〇〇が苦手かな?」と分かりやすいので適切な配慮を受けやすいからだと察しています。
そんな意味で車椅子に乗る子でいじめや暴力や攻撃される、といった心配や可能生は低いものです。
実際に私の知人も「小学校楽しかったよ」という人が多い。
とはいえ全員が「楽しかったよ」と言うわけでもありません。中には不登校になった子もいます。
ではその違いは何なのか。
それは車椅子の子から見える小学校という世界を考えていけば紐解けていきます。
知りたいのは”自分らしさとは何か”
想定として知的障害のない車椅子に乗る子を前提に書いています。
勉強面は他の子と同様に出来ます。ただ運動面では見学または支援学級の子らで体育をする、といったことになっているはずです。
低学年の間はそういった「自分は参加せず見学」といった事態も気にせず過ごしているかと思います。
ただ小学校3,4年生あたりから他者からの自分、全体からみた自分というものを意識し始めます。
分かりやすくいうと低学年の3年生くらいまでは自分のことでいっぱいなのです。
やがて小学校4、5年生くらいから他人の目や世の中を意識するようになります。
それは社会性を身につける上で必要な他者目線ですが、その頃に悩み始めるのは自分らしさとはなにか、です。
知りたいのは「自分は一体何が出来るのか」「何をすればいいのか」といったこと。
それは他人を見てそう思うのです。他人を見たあと、自分をみて悩むのです。
「ん?自分はどうすればいいんだろう・・・」という感覚です。
こうなって来ると本来見るべきは自分なんです。ただ多くの場合は他人を見てしまいます。
よって周りの大人は本人が自分らしさをみつける手伝いをすべきなのですが・・・ここで学校ならではの問題が発生します。
学校とは何か。
そもそも学校とは自分らしさを見つける場所ではありません。
ただ混乱させるのは学校では1月の正月明けの授業でよく「夢を書きましょう」とか授業でやりますよね。
また卒業の際やことある毎に「夢」という言葉を使う先生は一定います。悪気はないのでしょうがその辺りが厄介です。
実は学校は自分の夢を見つける場所ではありません。
学校とは自分の夢や想い、自分らしさを発見するとは真逆に位置しています。
学校とは自分らしさが分からなくなる場所です。
なぜなら先生は自分らしさとは対極にある「世の中」「普通」「一般的に」といった「形」を教えるからです。
「世の中では目上の人に敬語を使うんです」
「授業中は静かにするのが普通です」
「進学して企業や自治体で働くのが一般的です」
そういった「形」を教えます。そして子どもが形通りの行動をとっていれば「よくできました」と評価します。
そこに本人の想いや夢や「自分は何が出来るのか」といった自分らしさを評価する意識はありません。
「形」を教えるのが学校であり、先生です。学校や先生は自分らしさを教えてはくれません。
「じゃあ夢とか書く先生いるけどアレってどういうこと??」
と思われるかも知れませんが、その先生は「夢とは何か」「学校とは何か」「自分たちの仕事は何か」が分かっていないんです。分からずに「学校ではよくあるから」「他の先生がやっていた」といった感覚で「夢」というフレーズを使っています。
もし「先生とは何か」「夢とは何か」が分かっていて、それでも「夢を見つけよう」という先生がいるなら、その先生は周りとは違った空気を出しているはずです。
いわゆる「はみ出している先生」です。先生は職員室の常識からはみ出さないと生徒に夢は語れないんですよ。
家庭とは何か
車椅子に乗る子が地域にある小学校に通う場合、いじめや暴力といった心配は少ないです。
しかし身体に障害あるゆえに「どうしても出来ないこと」が出てきます。
その際に悩むのが「自分は何が出来るの??」「これから何をすればいいの??」といった夢や想い、自分らしさです。
ただ学校は自分らしさを見つける場所ではありません。むしろ反対の自分らしさが分からなくなる場所です。
ではそうすればいいのか。車椅子に乗る子の自分らしさを見つけるには誰が動けば良いのか。
一番適しているのは家庭です。
家にいるときは好きな事が出来ます。自分の世界を作ることが出来ます。
その時間は学校で見失いそうな自分らしさを取り戻す時間です。
もう一度言いますが学校とは「形」を学ぶ場であり、先生は「形」を教える人。
「形通りに生徒が行動しているか」が先生の評価基準であり「自分の仕事はできているか」の基準です。
だから小学校高学年くらいから思い始める、子どもが本当に欲しいもの、知りたいことを学校は教えてくれないんです。
だから家庭で見つける手助けをしてください。家庭が学校のように立ち振る舞う必要はありません。
小学校に通う子どもが元気がなくなっていったとき、自信をなくしそうなときは「自分は何が好きなのか」「自分はどうしたいのか」を確認させてください。
方法は「好きなことをやる」がその一つです。
学校と家庭の役割を意識していけば子どもが不登校になるなどを避けられます。
元気に「行ってきます!」と言って学校へ通い続けます。