他人を変えない

日本の教育が今、危機的状況にあるなら、それは生徒を変えようとしているからだと思います。

先生は真面目になりすぎているのかもしれません。

 

変えられるのは常に自分だけです。

相手を変えようとすると、無限の苦しみにハマってはいかないでしょうか。

 

成長には教育と啓発の両方が必要です。

生活が便利になって、人々は空いた時間に教育をするようになりました。

しなくていいんです。今は意識して放ったらかしにしなくてはなりません。

 

「相手を変えられるはずだ」「相手が変わらないのは自分のせいだ」

そう思うと苦しくなります。

 

「ちゃんと教えないからあの子はダメなんだ」

なんていう人がいますが、「要らんこというな」と内心ツッコミを入れてしまいます。

 

「ちゃんと教えたら相手は変わるんだ」

そうじゃないんです。

変わるものは変わるし、変わらないものは変わらないんです。

 

家では読み書き算数と最低限の社会常識。

それらを教えたらあとは「あなたに任せた」そんなのでいいんですよ。

 

変えられるのは自分だけ。

ここに気づけるか、気づけないかで子育ては大きく変わります。

 

学校にいたとき先生vs生徒の修羅場を何度か観ました。

修羅場になることを「立派に仕事をしている」と思う人もいるようです。

家庭でも怒ったり、教えていることが立派なんだと思う人が増えているのかもしれないです。

 

「相手を変えるのではなく、自分自身を変えることだ」

ここです。

ここに意識が出来るか、出来ないか。

 

私は人生って楽しいものだと思っています。

障害者スポーツにアホじゃないかと思える時間と金額を費やしたことあります。

私には夢があり、だから「夢が大事だ」と言えます。

 

目標のない大人が「目標を持て」と教えたり。

悪口、陰口に夢中になる大人が「人を傷つけてはいけません」と言う。

 

そんな大人もそれぞれに悩みや苦しみを抱えています。

そこなんです。まず見るべきものは。

 

これは本当に有り難いことですが、私が「人生って楽しいもんだ」と思うには、そういった体験がありました。

辛いことを受けとめてくれる存在がありました。

 

「辛いことが沢山あった」

そんな方は、ぜひ体験をしてください。

 

自分の好きなものを探し、辛い経験を手放し、お気に入りの場所やモノに囲まれてみてください。

嫌いな人とはなるべく付き合わない。

昔あった夢や趣味があるなら再開してみてください。

 

「自分を変える」とはそういう意味です。

巨人の星が如く、努力根性熱血ではありません。

 

昔気質の「男は背中で語るものだ」というスタンスは時代錯誤になってしまいました。

 

「子どもにあれこれ口出ししない」

「自分が成長する姿を子どもに見せるのが大事」

 

そんな視点からいえば「男は背中で語るものだ」は普遍的なものです。

 

あ、もちろんお母さんも同じですよ。

「男も女も背中で教えるものだ」でいいんです。

 

「背中で教えるものだ」と思うと放ったらかしになったり、親自身が夢を追いかけたりします。

教育者は「教育放棄だ」と非難します。

それは当然です。

背中で教えるのは教育ではなく啓発だからです。