スポンサーリンク

 他人を意識すれば緊張する

先日、障害者スポーツ「ボッチャ」の講習会がありました。

大きいイベントで、人数が200人以上います。

 

私はボッチャ協会で役員をやっています。

講習会の際は、実技指導が中心。講義は滅多にありません。

 

今回は「講習会の最後にボッチャ協会を代表してお話をお願いしますね」と振られてきました。

 

「え?イヤなんですけど?」とは言えません。

「言うしかないか」と思って、マイクが来るのをしばらく待っていました。

 

私は1対1で話すのは好きですが、大勢の前は好きではありません。

自分の意識を相手に持って行かれるのがイヤなのです。

 

友人の結婚式のスピーチなどは喜んでやります。

それは思ったことをそのまま言えるから。意識が自分にあるのです。

 

苦手なのは「ボッチャ協会として」「講習会」といった肩書きで話す場合。

意識が肩書きに向かっていきます。

私は緊張しいです。200人を前にしたら尚更。

マニュアル通りに話してしまい、終わったあとは徒労感が残ります。

 

昔、友人の結婚式のスピーチをやりましたが楽しかったです。

「オマエ、22歳の頃覚えてる?」という語り口から始まり、自分も周りもウケていたと思います。

意識が自分と相手へ向いていたのが良かったのでしょう。

 

今回は、意識が「ボッチャ協会」「失敗しない」など人間以外へ行くところでした。

ただ天啓が降りてきました。

 

私は養護学校で先生していました。

自閉症の小学生の男の子を担任したことがあります。

 

ふと彼の姿が想い浮かびました。

 

「あの子がここにいたら、俺みたいに緊張はしないだろうなぁ」

「鼻歌でも歌って、順番待っているだろう」

「なんで先生緊張してるの?って笑われるやろう」

 

そんなこと思ったら。

「あの子の真似すればいいやんか」と気づきました。

 

彼がやっていたように、私も小さい声で鼻歌歌いました。

 

頭の中がクリアになってきました。

200人を超える大勢を前に次のような考えが浮かびました。

 

「この人たちはどんな話を聞きたいのだろう」

「一般論や客観的な話を聞きたくはないわな」

「今まで自分が感動したボッチャ話をしよう」

 

考えまとまって「ボッチャは身体が全く動かない人でも出来るんですよー」と身振りを交えて話しました。

スポーツ教則本には載っていない、私が「ボッチャすげぇ!」と思ったエピソードです。

会場の反応は悪くなかったと思います。話した私も気持ちいいものでした。

 

一番良いのは自分と相手へ意識を向けることだと思います。

どちらも人間であり、どちらかのためになっています。

 

最悪なのは、常識とか肩書きとか立ち場へ意識を向けること。

まぁボッチャ協会なんて・・というと自虐的ですが、あやうく私は「協会事務局員として話そう」としていました。

 

「協会事務局員として」

「先生として」

「社長として」

「親として」

そんな立ち場から話す話はおそらく決まり切った通り一辺倒でつまらないはず。

聞く方も話す方もです。

 

人間に向かって話すのか。

立ち場、肩書きなど人間以外を意識して話すのか。

 

大人の悲しいところは肩書きなど人間以外に意識を向けて話せてしまうことです。

「立ち場」「お金」が一番多いかもしれません。

 

人間以外のものへ意識を向けて話したらダメなんだと思います。

 

今回の私は鼻歌歌うことで、自分へ意識をもっていきました。

参考にしたのは担任していた自閉症の小学生。

こんなことは滅多に起こらないでしょう。

 

考えてみれば「自意識を持ちなさい」と勧めてくれる人は世の中、まずいません。

「自意識過剰」はネガティブなイメージを持ち、「ナルシストだね」と揶揄されると思います。

 

学校や会社は「他人目線」「お客様意識」を大切することを勧めてきます。

他人もお客様も人なので悪くないですが、不純物が混ざる事が多い。

「お金」とか「立ち場」とか。

 

相手が心を持った人間であることを意識するには、自分も心を持った人間であると意識すべきでしょう。

 

「自意識過剰はダメだ」

「ナルシストはダサイ」

本当にそうなのでしょうか。

例外って結構あるのではないでしょうか。

 

「自意識過剰」は自分にとってはかけがえのない意識のはず。

 

「全てはお客さんのために」

「みんなのためが自分のためになる」

これはどこか嘘じゃないでしょうか。

嘘は言いすぎかもしれないですが、自意識をおざなりにした「みんなのために」になりやすい。

ブラック企業や不登校の根深さはここにあると思います。

 

色んな理由で自意識を捨てていると思います。

 

偉そうに言う私も人の目は気になります。

中学生のころ「この問題分かる人?」と問われたら下向いていました。

自意識を捨ててまでも、他者意識をしていた頃もあります。

 

過剰になったら何でもダメなので「自意識」は万能じゃない。

ただ自意識そのものは悪いモノじゃない。

 

「自意識捨てたら自分でなくなるから注意してね」

そんなこと言う大人や世間があってもいいと思います。

 

良いのは自意識の中に他人がいること。

今回の講習会で言えば、あのときの私には自分の中に相手がいました。

 

「この人たちは面白い話を聞きたいだろうな」

「こんな大勢を楽しませたら、俺は気持ちいいだろうな」

両方への意識です。人間への、です。

 

自意識とは自分の幸せに直結するものです。

他人にとってはどうでもいいものですが、自分そのものです。

 

間違っても人間以外へ意識をもっていくとスベると思います。

「店員らしく」とか「先生らしく」とかね。

今回で今まで自分がスベってきた理由に気づいたくらい。

 

身近にいる自意識の天才は子どもたちです。

ボッチャ講習会で小学生に感想を求めると自意識だけの話をしてきます。

「ボールを真っ直ぐ投げるのが難しかった」とか100%自分の話。

 

たまにえげつない感想も出てきますが、子どもは大人が持ってないコツとヒントを沢山持っていると思います。

 

敢えていいます。自意識を持ちましょう。