障害ある子どもたちは特別支援学校や支援学級にて勉強をします。

学ぶ内容は自立活動であり、教科学習、生活態度です。

 

私は「それだけじゃ足りないでしょ!」と伝えたくて記事を書いております。

そもそも私は特別支援学校で先生をしていました。

 

「先生の出した課題をどれだけ出来たか」が支援学校の基本じゃないですか。

出来たら良しだし、出来なければ頑張りましょう。

 

先生らは気づいていない部分があります。

しかもそれは人生を左右するもの。

 

それは前向きさです。

 

ある車椅子に乗った男の子は「死にたい」ともらしていました。

「なんで?」と聞いたら彼は「自分も何かしたいんだ」と言っていました。

 

彼は重度の身体障害があって、参加活動が限られています。

友達は恋愛したり、スポーツしたりと青春を謳歌しています。

 

彼は「自分にも何か夢中になれるものがほしい」と願っていました。

ただそれをずっと言っているのですが叶わない。彼の親後さんは彼の人生の楽しみ的なものに感心が薄かったんです。

 

私は彼とボッチャという障害者スポーツを始めました。

彼は「死にたい」とは言わなくなりました。

 

 

ある片麻痺で知的障害ある男の子は、小学校時代にいじめにあっていました。

中学生になり、支援学校へ入学。2年目に私が担任を持つことになりました。

 

彼は何に対しても無気力でした。

4月の懇談ではお母さんから「ウチの子は『僕は生まれてきたくなかった』と言ってくるんです」という話を聞きました。

 

私は自立活動の時間を遊びに変えて、彼と一緒に野球やバスケをしました。

2学期の連絡帳に『学校行くのが楽しみと言っています』と書かれてありました。

 

こういうことなんです。

私は少し・・というか大分変わった先生でした。

なかなか「気持ちの前向きさ」を指摘する先生はいません。

 

先述の車椅子の彼も、いじめを受けていた子もずっと勉強や訓練などをしていました。

 

それだけでは解決しない問題があるんです。

それが気持ちの前向きさです。

 

前向きになった彼らはより優しく、生き生きとしました。

「これ以上に大切なものが他にあるのか?」と私は思うんです。

 

前向きになるために勉強や訓練をしているのかもしれません。

ですが私が知った事実は正反対でした。

今手もとにある出来ること、得意や好きなこと。

これらは子どもたちの人生を輝かせてくれます。

 

今、すぐにでも子どもたちは人生を謳歌し「生まれてきて良かった!」と思うことが出来るんです。

「なんでそれをやらないんだ!」と私は強く強く思います。

 

私は社会人になる支援学校卒業生たちと交流を持っています。

一緒に食事に行く仲で近況報告を聞いています。

 

魂込めて言います。

 

障害がある、ない。

できる、できない。

 

そういうことじゃないんです。

 

人生を前向きに生きているのか、いないのか。

それが障害のる子どもたち・・に限らないですね。誰にでも必要なものです。

それが療育・支援教育ではおざなりになりがちです。

 

「この子の心は前向きになっているだろうか」

に注目してみてください。

全ての勉強を差し置いてでも大切にすべきは心の前向きさです。