「お金が全てではない」
そう言われると「あぁ、そうだな」とほとんどの人が納得します。
では何が全てなのか。
「何を最優先にするか」で子どもも人生も激変します。
例えば。
「今日は靴を買いに行くんだ」と思ってイオンモールにでも行けば間違いなく靴屋に入るでしょう。
「今日は何買おうかな・・」と決めずに行けば、どの店に入るか、何を買うかはその場次第です。
「何を最優先にするか」で行動は変わります。
「お金が全てだ」と思っていると「お金が全てですよ」という店に入り、その店の商品を買うのです。
「愛が全てだ」と思っていると「愛が全てだ」という店に入り、その店の商品を買います。
「何が大事か分からない」なら誘われるがままに店に入り、不要な商品を買わされるでしょう。
心に思うことが根っこ。そこから枝葉の行動が決まります。
「心に何を思うか」で決まるんです。
学校教育に足りないモノ
学校教育に足りないものは「心が全てを決めている」という感覚。
「心を大切にしよう」はきれい事でも優しさでもないんです。
「気持ちを尊重しよう」というフレーズも違います。
「出来ればそうしようね」でもなく。
気持ちが全てを牛耳っています。
心にある想いから全ての行動は決まっています。
敢えてしつこく言っています。
それくらいの勘違い、錯覚が起こっています。
気づいてほしいのです。
末端の枝葉である行動だけ変えても意味がない。
怒鳴っても、説得しても子どもは変わらない。
それは根っこにある心に届いてないから。
問題は末端の枝葉ではなく。
根っこにある心や想いを変えるしかない。
「そうだよね、心って大切だよね」ではなく。
心から全てが始まっているという事実です。
「肉体があって、心がある」と思ってはないでしょうか。
違います。
「心があって肉体がある」という感覚です。心が主で、肉体が従です。
心が主で、お金が従です。
心が主で、常識が従です。
心が主で、学歴が従です。
心が主で、世間体が従です。
「宝くじが当たれば幸せになれるんだ」と思っている人は「宝くじが主で、心が従」なんです。
そういう感覚は子どもとはちぐはぐになります。
なぜなら子どもの方が本質を知っているからです。
子どもは心が主で、それ以外が従です。
人間の本来も心が主で、それ以外は従なんです。
それをねじ曲げるのが常識や理屈やお金といったもの。
どう思われましたか?
「は?何言ってるの?」
「あー何となく分かる」
「分かる!その通り!」
どの段階にいるかで子育ても人生も大きく変わります。
それはあなたの根っこを問う問題だからです。
「宝くじ当たっても幸せにはならない」
まずはこれを強く意識づけてください。あなたの根っこを書き換えていく作業となります。
ルール、常識よりも前提となる当たり前のことがあります。
ルールや常識は時代や場所によって変わる。
当たり前はずっと同じ。
常識は大事。当たり前はもっと大事。
学校は常識を教えますが、当たり前が弱い。
このブログでは当たり前を話していきます。常識の学校教育と合わせてみてください。
効果倍増です。