私には夢があるんです。子どもの笑顔がずーっと続くようにしていきたいんです。
小学校くらいまでは「弾けるような笑顔」と表現して遜色ない素晴らしい表情をみせてくれます。
中学生くらいになると「どよーん」とした雰囲気を感じるんです。
原因は周りの目を気にし出すからでしょう。
この時期を境目に人目を気にして動けなくなる。みんなと同じように、普通になっていく。
「中二病」という表現あって、悪いことのように思われてますが、私は良いことだと思っています。
みんな本当はいろんな世界観をもっているはずです。子どもの笑顔が素晴らしいのは自分の世界観を保っているからでしょう。
私は物心ついたころから頭の中に「僕はヒーローになるんだ」という世界観がずっとあります。
他人からすれば「バカじゃないの?」という世界観ですが、この世界観に従っている時間が自分らしくいられる時間。
ここから外れると全てが崩れます。
今いる子どもたちも同じような世界観を持っているはずです。
なくすのはもったいないし、個性も伸びない。
中学や高校でいじめや不登校にならないか、将来はちゃんと働けるのだろうか。
心配されているのは私だけでないはずです。
私は以前は先生やっていたんですよ。
中学校の世界を知っていますが、学校は「どよーん」と表情を曇らすことの一端を担っています。
学校にある「ルールの遵守と能力の向上」という評価基準が原因です。
ルールも能力も間違っているわけでないですよ。
ただ行き過ぎたら悪になるんです。
ルールを守りすぎたら我慢になるし、能力は平均値になることを目指していて、無個性になっていく。
私はその中で「好きと思いやりが大事だ」で先生やってたんです。
部活や趣味に熱中している姿に「いいなぁ」と思い、校則違反する子でも思いやりの行動あったら「君はいいヤツだ」と言ってたんです。
自画自賛になりますが私、好かれてたんです。
他の先生ではいうこと聞かないけど、私の話は聞いてくれる子もいました。
いじめにあって自分を見失った子でも、私が担任もったら「学校楽しい」と言ってくれるようになっていきました。
自慢しているんじゃないですよ。
私が経験した感動を読んでいる方に再現してほしいんです。
私の基準は「好きと思いやり」です。
学校は「ルールと能力向上」です。
私の基準おかしいじゃないですか。学校の先生なのに。
つまり私のやっていることは家庭でこそ活かされるんですよ。私、先生じゃなかったんです。そういう意味では。
お家で「ルール守りなさい」「勉強しなさい」になると子どもたちはそれ一色になるんです。
息抜きがない、というか羽を伸ばせない。
また典型的な学校の先生は嫌われやすいです。
お家でも「ルールと能力の向上」を第一とするとお子さんとの関係が壊れていくはずです。
「天職を見つけてほしい」
「親友をつくってほしい」
「親子仲良くしていきたい」
そう願うのであれば、「好きと思いやり」を基準にしてみてください。
「どよーん」と表情が曇らないように、学校の負の部分に覆われないように、灯台のようにこの基準が照らしてくれます。