悪さをしたとき「反省させよう」とか「理解させよう」としませんか。
どれだけ説明しても分からない。
そんなときは「引き分け」でOKです。
スポーツの審判のように「今、あなたは反則しましたよ」と宣告するだけでいい。
優しさやマナーは悪さをしたときに、教えるものではありません。
「決着をつけよう」と問い詰めて、反省と謝罪を求める。
それは「裁判」です。
私たちが子どものころ、学校で行われたのも「裁判」です。
ついマネをしてしまいますが、意味はないのでやめておきましょう。
裁判でない優しさやマナーの教え方を説明します。
教えることはきっかけに過ぎない
理解には下地が必要です。
私たちが子どものころを思い出してください。
割り算を理解出来たのは、足し算の下地があったからです。
英文を読めるのは、ローマ字や単語の下地があるから。
リコーダーが吹けたのは、楽譜を読む下地があったから。
優しさやマナーも同じです。下地をつくるのは日常です。
優しさに触れ、マナーによって守られる経験がないと出来上がりません。
悪さをしたとき「分からせないとダメだ」と思い込む必要はないんです。
ストレスを溜めすぎないよう、不安にならないように気をつけてください。
教えることは理解へのきっかけに過ぎません。
こんなときはご注意を
悪さをしとき「決着をつけるのが当然」と思っている人がいます。
「教えないとダメでしょ」とあなたを責めます。
「無責任だ」と非難されると「グサッ」ときます。心情的に流されそうになります。
でも気にしないでいい。
「足し算理解できてない子にかけ算教えるの?」と疑問に思えばいい。
下地がいつ出来るのかは本人にもわからないんです。
子どもを信頼するしかない。
「決着つけずに引き分け」は無責任じゃないんです。
「いつか分かる日が来るだろう」という子どもへの信頼です。
信頼はストレスはぐっと減らしてくれます。
親子仲も良くなります。ぜひ。