理屈って意味ないんですよ。

 

ほとんどの理屈には反論が出来ます。

「朝まで〇〇テレビ」にみたいな討論番組が成立する理由は理屈では答えは永遠に出ないからです。

 

ところが学校の先生は理屈を使う事が多い。

ただ子どもはどこかで理屈の矛盾に気づくか、違和感を感じます。

嫌な勉強は理屈では解消されません。

 

分かりやすい例があるので漫画で読んでみてください。

こういう経験みなさんないでしょうか。勉強ではないですが父親がピアノを教えています。

父親の理屈も間違っていません。

でも子どもの理屈も間違っていません。

 

理屈で正しいことはほぼなくて。どこかでほころぶものです。

 

大体、小学生高学年くらいまでの勉強は「そういうものだ」で教えるんです。

3年生くらいまでは多少強引でも子どもはやってくれます。

 

なぜなら、小学校3年生くらいまでは、ひらがなや時間など内容が生活に身近だから。

「知りたい」という子どもの願いに叶っているんですね。

 

ただ、学年上がると内容が難しくなって勉強するのがイヤになってきます。

 

その場合に「子どもは勉強するものだ」「将来のために」といった理屈は子どもの心を救わないんです。

 

「別にここまで知りたくないし」

「何のために勉強するの?」

 

と反論が頭に浮かびます。どんなに理屈づけても気が向かない勉強は苦しい。

これは塾に行けば解決するとか、勉強方法を工夫すればいい、といったものではありません。

 

こんな場合は理屈よりも上位のものを意識するのがコツです。

それが感情です。

 

みなさん、理屈と感情ではどっちが強いと思いますか?

実は感情が圧勝です。

 

「宿題しなければ」という理屈より「遊びたい」という感情の勝ちですよね。

 

嫌なことでもやり続けるのは「好き」「嬉しい」といった感情が必要です。

 

夢のない勉強は我慢です。

夢のある勉強は努力になります。

 

我慢は苦しいですが、努力は出来ます。その先に夢があるから。

 

子どもが勉強への意欲を失いがちになるのが小学校高学年くらいから。

それ以降は「そういうものだ」で勉強させるのは難しい。

 

やる気のない子や辛そうな子に「勉強した方いい」とか「みんなやってるから」は嫌な気持ちの解消にはなりません。

 

勉強した先に何かしたの感情満たされるイメージを持つことです。

「意欲を湧かせる」ということですね。

 

具体的に言えば、職業はもちろん、受験の際は試験受ける学校に実際に見学に行くんです。

「ここに行きたい」という気持ちが湧けば嫌な勉強も和らぎます。

また「友人が行くから」なども有効です。

 

理屈を捨てて感情で。

嫌な顔して勉強してるお子さんの表情が少しでも和らぎますように。