理屈で考えると療育は「やった方がいい」ということになります。
ですが「療育をやめたい」と願うなら、その気持ちに従うことをお勧めします。
「もっと合う療育を探す」
「療育を減らす、しない」
それも正解です。
何でも過度にやるとマイナスになります。療育活動も例外ではありません。
先生というのは「出来ることを増やす」が仕事であり立場です。
よって”副作用”の話は基本的にしません。
副作用とは「子ども時代に主体的に遊べない」ということです。
「課題を与え教わる」という療育の形が受け身であり「自分で考えない」「感情が薄まる」という副作用があります。
原点に戻って考えてみてください。
人が生きる原動力は生き甲斐です。
「産まれてきて良かった」「生きてた甲斐があったなぁ」と感じるためにみんな生きています。
療育そのものに「生きてた甲斐があったなぁ」と感じることはありません。
「障害がある子はみんなと違う道へ行くんだ」という感覚があるかもしれません。
そうであっても子ども時代に経験すべきことはみんな同じです。
自発的に遊んで日々を楽しむことです。
日々を楽しむことは「自分は産まれてきた甲斐があった」と心に刻み込むことです。
産まれて真っ先にすべきことは人生を謳歌することです。
その前向きさがスキルを活かします。
生きる力とはスキルではなく前向きな想いです。
悪い意味でなくて、先生は療育を通して子どもをみます。
先生にも「この子の生き甲斐は何なのか」は分かりません。
スキルと生き甲斐は別個のもの。
生き甲斐は教えられるものではなく、子どもが自分で見つけるものです。
一人では難しいのでお父さん、お母さんが手伝ってあげてください。
出来る限りでいいので、色んな場所へ行き、思い出を作ってください。
そうやって日々に生き甲斐を感じるようになった上でスキルを身につけることが人生を拓かせます。
早期療育は効果的なのだと思います。
ただそれ以上に重要なのは自分の人生を謳歌すること。それによる人生へのイメージづくりです。
そのために子ども時代は自発的な遊びを通して「産まれてきた甲斐があった」と心に刻むのが先です。
人は最初に経験した強い感動に人生が影響されます。感動のない日々を過ごすと無気力になります。
私は支援学校で先生をしていましたが、無気力になっている子を多く出会ったのです。
これは教えすぎによる副作用だと感じました。
「療育をやめたい」と願うなら、その気持ちに従うことが正解です。
生き甲斐を感じることで得られる心の力があります。続けるにしても学ぶ時間より遊ぶ時間を増やしてください。
スキルよりも心の力の方が人生に影響を与える度合いは遙かに強いです。