私は美術家の岡本太郎氏が好きです。

岡本氏の作品は誰にもマネ出来ないでしょう。

技巧うんぬんよりも感性の問題。

「なんとなく流される」ことを嫌う人なんだな、と感じます。

 

「反抗することで自分の存在がくっきり浮かぶんだ」と岡本氏は主張しています。

 

それはまさしく子どもと一緒。子どもは反抗してナンボです。

子どもの反抗に意味はあって「自分は自分でいたい」という本能なのでしょう。

常識に反抗する。誰にもマネできない、想像も出来ないことをする。

これが出来そうで出来ません。

私たちは大人になるにつれ、みんなと同じようになっていくからです。

 

みんなと同じは安心です。でも同時につまらないものです。

不安定な方が実は生きている実感があるのでしょう。

 

こちら岡本氏作の「坐ることを拒否する椅子」です。

椅子ですが本人は坐られることを拒絶しています。そこに意志があるのです。

 

「同じはそんなに大事なのか?君を幸せにするものなのか?」

私は岡本氏の作品を観る度に勝手にそう感じています。

 

私は学校で先生をやっていました。

子どもたちや保護者の方と出会ってきて思うのが「みんなと同じ」を意識し悩む人がとても多いこと。

 

でも答えはみんなと同じよりも「自分がどうしたいのか」です。

他人ではなく自分。

「自分が感じているのは何か?」ということ。

 

岡本氏は芸術作品以外にも言葉を多く残しています。

強烈に惹かれるのはこれです。「殺すな」という文字。

 

「自分を殺すな」「想いを殺すな」そんな意味だと受け取っています。

 

「人はどう生きるべきか」なんて誰にも分かりません。

先生が答えではないですし、岡本氏が答えでもないでしょう。

 

ただ私だけの答えはあります。

 

私は自分に正直に生きていきたいです。生きている実感が欲しいと思っています。

だからこうやって情報配信をしています。伝えたいことがあるからです。

 

先生を辞めて、一個人になって。

ようやく言いたいことを言える自由を手に入れました。

 

あなただけの答えはなんでしょうか?

お子さんにとっての答えはなんでしょうか?

 

「見つからない」「そんなものはない」ではなく「見えなくなっている」のではないでしょうか。

このサイト夢へのenzinをヒントにあなただけの答えを見つけてください。