私は10年ほど特別支援学校で先生をやっていました。

「自立させるのには外見ではなく中身だ」と思っています。「精神的に自立している方が大事」ということです。

 

例えば支援学校で車椅子に乗る女の子は自分のことは自分でやります。彼女は思いやりがあって周りには友人がいます。

その光景に私は「幸せそうだね」と言いました。彼女は「うん!」とハッキリとした返事をしてくれました。

 

こういった状態です。本人が前向きで自分のことは自分でやろうとしている状態です。

 

これは私の10年以上の経験から導き出した答えでもあります。

読む時間は10分ほど。それでお子さんの未来が変わるかもしれません。

これが当サイトの役割です。

 

「枠を教える」と「自分らしさ」

優しさを持ちながらも遊ぶときは遊ぶ、自分のことは自分でやりながらも今は幸せと言える。

そんな子らはルールや常識といった自分を縛るものと、自分のやりたいことのバランスが取れています。

 

家庭のしつけや学校教育などアプローチは二つに大別されます。

「枠を教える」「自分らしさを育てる」

この二つです。

 

「枠を教える」とは以下のような例です。

「ルール」「一般常識」「マナー」「国語、算数などの数字で評価できる勉強」「日常生活が一人で出来る」「授業中は静かにしている」など。世の中や他人が求めているもの、外からの評価、点数など客観的な評価出来るもの。

自分以外の他人が望む「枠」です。「枠」は外から見て判断出来ます。見栄えや他者目線や評価です。

「枠にハマる」とか言いますよね。しつけや学校での教育は「枠」を教えるのがほとんどです。

 

「自分らしさ」とは以下のような例です。

「野球やりたい」「ジャニーズ大好き」「ダンスが得意」「漢字を沢山知っている」「コンクールで入賞した」など。

自分自身のやりたいこと、現すもの。自分の感情を刺激する物事。他人からは評価できない主観的なもの。

「自分らしさ」とは好き、嫌い、やりたい、やりたくない、など自分自身のこと。

「自分はどう感じているか」

「周りはこうだけど自分はどうなんだ?」という問いかけや感情です。

 

教育は「枠を教えるのか」「自分らしさを育むのか」この二つの綱引きです。

 

また「枠」と「自分らしさ」は子どもだけに関係あるのではありません。

 

「会社のルール」と「自分のやりたいこと」

「近所や家のつながり」と「自分の時間」

「地位や名誉、世間体を求める」と「自分が好きなことをやる」

 

大人も色んな場面で「枠」と「自分らしさ」の綱引きは起きています。

 

極端になると”問題”となる

「枠」と「自分らしさ」

これはどちらかが極端になると”問題ある状態”となります。

 

極端な例をあげてみましょう。

「枠」ばかりの状態

「無気力」「嫌と言えない」「良い子過ぎる」「自信がない」「行動出来ない」「(心底行きたくないのに)学校へ行っている」「不登校になる」「四角四面に物事を考える」「羽目を外せない」「やる気ない形だけの勉強や訓練」「感情がなくなる」

これは子どもだけでなく大人も同様です。

「マニュアル人間」「ブラック企業へ奉仕続ける社員」なども「望まれている枠」を意識しすぎているものです。

「枠」だけになると「自分はどうしたいのか」「どう感じているのか」が分からなくなります。

日々に充実感をなくす原因の多くは「枠」です。

 

次は「自分らしさ」の極端な例です。

「自分らしさ」だけの状態

「ルールを守らない」「マナー違反」「ワガママ」「やりたい放題」「傍若無人」「王様状態」「無作法で無礼」

大人で言えば「ふんぞり返ってやりたい放題の社長」のようなイメージです。

当然ですが「赤ちゃん」もこの状態ですね。

自分の感じることが全てになり、自分だけが判断基準や行動原理になっている状態です。

 

生まれたときは誰でも自分らしさが全てです。

お腹が空いてたら泣くし、興味あるモノには手を伸ばして、人の目を気にせず自分のやりたいことをやります。

 

そうならないように、子どもにはしつけや教育が行われます。「枠を教える」ということです。

しつけや教育とは「自分らしさだけの人」にはならないように社会に必要なスキルを学ぶことです。

 

意識すべきはどちらか

「枠」だけだと人生楽しめません。

「自分らしさ」だけでも周りからは反感をもたれてしまいます。

 

この二つのバランスを取りながら子どもにはアプローチするわけですが、意識すべきは「自分らしさ」だと言い切れます。

 

なぜなら世の中は「枠通りでいること」を本人に強く望むからです。

顕著なのが学校です。学校とは要は「枠」を教える施設です。

「髪の毛を黒くしなさい」「中学生らしい服装はこうです」とあるべき姿を求めます。

 

先生の評価は目に見える客観的な評価です。「〇〇が出来た」「先生の指示がきける」など外見上の行動を評価します。

怒るときは「なんでこんなことが出来ないんだ!」と外見上の行動を怒ります。内面は見ないんですね。

 

先生は生徒がみんなと同じようにしていれば内面はどうであれ問題視しません。

むしろ「良く出来ました」「立派です」と褒めるでしょう。

 

先生は「枠通りにやっているか」を評価します。

 

また子どもたち同士でも小学校高学年あたりから「枠」を意識します。

他人の目を気にするようになるのがその一例です。あれは常識を自分や他人に当てはめている行為です。

 

不登校、いじめ、過剰労働や仕事のうつ病も「自分」よりも「枠」を重視するから起こる現象です。

学校、社会、大人も子どもも「枠通りでいるか」を求める勢いが強いのです。

 

「学校で個性や夢は輝く」は矛盾している

私は以前は学校の先生をやっていました。

「子どもの夢を叶えられる先生になりたい」とそんな目標を立てていました。

知らない人は申し訳ないですがドラマや映画にもなった「Rookie’s」という漫画の主人公川藤先生になりたかったんです。

 

そして実際に先生になったのですが「君の夢はなんだ?」という川藤先生が言うような台詞は一言も言えません。

代わりに言うべきは「遅刻するな」「なんだそうの髪の色は?」など夢や自分らしさとは逆の「枠」にはめる指導です。

 

「子どもに夢の叶えようとするのは漫画だけの世界なんだ」と私は理解しました。

よくよく考えれば漫画の川藤先生も職員室で浮いてます。

夢や自分らしさを大切にしようとすると職員室で居場所がなくなることが分かりました。

 

同時に「学校の役割は分かりにくい」と感じました。

「学校では個性や夢を育んでいます」という言葉に違和感を感じない人はいるでしょう。

私も先生になるまでは違和感を感じませんでした。

ただ中に入って分かりました。それは矛盾しているんです。

 

「ボランティアで商売やっています」「庶民派のエルメスです」には違和感を感じるでしょう?

それは本質が相反しているからです。

 

学校も同じなんです。

学校の本質は「枠を教える場所」です。対極にある「夢」「個性」は育めないんです。

ただ矛盾に気づかずに先生は「夢」「個性」を使うので親や子どもは混乱します。

 

実際に先生は子どもの夢がファッションデザイナーや美容師でも黒髪を求めますよね。

均一を求める学校で個人の夢や想いは育めないのです。

 

 「自分らしさ」を上に「枠」は下に

先生をやっていて分かったことが他にもあります。

それは「枠」を教えすぎると、子どもは自分の意見が言えなくなり、自信を失い、日々がつまらなくなる、ということです。

 

解決する方法は「自分らしさ」です。

でも先生に「うちの子の自分らしさをみてください」と期待するのは本質的に難しいです。

 

「枠」が上にくると自分の気持ちがなくなります。

意見が言えない、気遣いで疲れる、不登校や自信がない、過重労働やうつ病もこの状態です。

 

だから自分らしさを上に置くように考えてみてください。

「世の中の常識と上手に付き合きあう方法」とも言えます。

 

自分の夢を追いかけるように生きてみてください。

それでも充分世の中との折り合いをつけて生きていけます。

 

このサイト夢へのenzinは「自分らしさ」の価値に気づいてもらう存在です。

悩み相談なども受け付けていますのでどんどん利用してください。