私は以前は特別支援学校で先生をやっていました。

沢山の障害ある子と関わるうちに『本当に目を向けるべきは心の強さだ』と思うようになっていきました。

 

『変な先生だな、こいつ』

と思われるでしょうが、ちょっと説明させてください。

 

障害ある子は「見た目で分かる出来ること」に取り組んでいます。

「時間を守れた」「より多く歩くことが出来た」「国語や算数が理解できた」などです。

 

実際に夏休みの先生研修で「先生の評価は客観性が大事」という研修もあったくらいです。

 

先生は半分無意識なのかもしれません。

目で見える「出来た、出来ない」を大事にしています。

 

なので子どもたちは見た目は色々出来るようになっています。

 

でも心の中は「僕は出来ない」「私は自信がない」というままなのです。

 

その証拠に特別支援学校では「あの子はメンタル弱いからなぁ」「心が育ってない」という評価をする先生は多いです。

 

支援学校の現場を知っている人に限られる質問ですが、実際にどうでしょうか。

ストレートに言いますが「精神的に幼い、弱い」という子は多いと思いませんか?

 

心が弱くなるのは障害ゆえなのか、環境ゆえなのか。

 

私は「弱くしているのは環境である」という立場なんです。

 

本サイト、夢へのEn-Zin(エンジン)は障害ある子の心の強さを育くむブログ。

キーワードは「夢」です。

 

自信を身につけるのも、成長するのも、幸せを感じるにも心と夢が鍵です。

やがては自信がついて、前向きな性格になっていきます。

トラブルにも耐えられるようになります。

 

「見た目ではなく、心の自立をめざす」が目標なのです。

 

稀勢の里の親方に感動してしまった

『稀勢の里が横綱に昇格!』とのニュースがテレビやネット上で話題になっています。

大相撲では19年間、若乃花以来日本人横綱はいなかったそうですね。

 

私は格別に相撲が好きとかではないのです。

ただ日本人の血なのか『稀勢の里の横綱昇格』のニュースは見入ってしまいました。

 

で、何に一番感動したかというと稀勢の里の親方の話。

鳴門親方というお名前のようですが、鳴門親方の指導方針にいたく感動しました。

 

親方は非常に厳しい人だったそうです。

 

例えば相撲といえば普通、四つ相撲を思い浮かべるでしょう。

 

「四つ相撲ってなに?」と思われる方はこちらを。

photo by RICO24h

↑こちら四つ相撲です。

「四つ」とは腕のこと。腕4本組み合って相撲してますよね。だから四つ相撲なわけです。

 

親方はこの四つ相撲を否定しました。

「組み合うな。突き押しで勝て」と稀勢の里に指導したんです。

 

稀勢の里は内心不安な気持ちもありながら、突き押しの相撲を稽古しました。

 

その結果どうなったか。

 

怪我をしない力士になりました。

四つ相撲は組み合うため、怪我が多いのです。

 

100キロ以上ある相手と組み合い、身体を捻って投げ飛ばしするわけですから。

組合いの相撲は身体へのダメージが大きい。

 

それを見通して『組み合うな。突き押しで勝て』と指導を徹底したのだそうです。

 

徹底していないところに一番感動した

四つ相撲という一つの型を捨てるのは大変勇気のある決断。

でもそこを親方は徹底させたわけです。

親方の指導に感動したのはそれが一つ目。

 

二つ目は「生活面は徹底しなかった」ということ。

 

具体的に何を、というと門限です。

部屋の門限は21時30分。親方は厳しい人格。

 

ただ裏門は閉めずに『開けておけ』とのこと。

「門限に遅れても見つからなければ良し」としたのです。

 

ガチガチの指導は心を弱くする

親方の「裏門は開けておけ」をテレビでは「逃げ道をつくる親方の優しさ」と表現していました。

もちろんそれもあるのでしょう。

 

ただ私は親方は「自主性」と「精神力の強さ」を重んじたのだと思っています。

 

裏門を開けておくことで自主性と精神力を鍛えようとしたのだ、ということです。

 

自分を稀勢の里に置き換えてみてください。

 

『親方に怒られるから』早く帰るのか

『明日の稽古のために』早く帰るのか

 

どちらが精神的な強さが必要だと思いますか?

 

答えは『明日の練習のために』の方ですよね。

裏門が開いていても「帰る」と決断するには強い精神力が必要です。

 

「誰かに怒られるから」という理由でやる行動は実は楽なんですよ。

怖さを理由に自分を抑えることが出来ますから。

 

でもそれは怒ってくれる相手に頼っているんです。

裏返せば「厳しくされなければ時間を守れない」ということなんです。

 

心を強くするにはどっち?

私が「障害ある子の教育は見た目はいいが心を弱くしている」というのはこれが根拠です。

障害ある子は小さいころから、大人に囲まれ「○○しなさい」「○○が正しい」とガチガチの指導を受けています。

 

先生はガチガチにくっついて、ときには怒ることで「正しい行動」をさせています。

 

だから自信にならないんです。

正しい行動を取れたのは先生のおかげだから。

 

自信は自分でやろう、と思うことの結果で身につきます。

自分で考えて、正しい行動を選ばないと意味がないんです。

 

門限の話を思い出してください。

 

「親方に怒られるから」で早く帰るのと「明日の稽古のために」早く帰るのとでは、どちらの選択が心を強くするでしょうか。

 

言うまでもなく「明日の稽古のために帰る」と決断したときです。

誘惑を断ち切って相撲に人生を賭ける決断がそこには必要です。

 

何度も繰り返すうちに「絶対勝ってやる」という覚悟が生まれます。

 

本当の自信はそんな「正しい選択」をした自分に対して身に付くんです。

 

人間はそもそもがグレーである

とはいえ「自主性が大事」と親方のやり方をそのまま真似ても不安になるときがあるはずです。

 

「ここは叱らないとダメなんじゃないか」

「悪い方向へ行ったらどうしよう」

 

子どもを見ていて不安になることがあるはずです。

 

そんな場合は人に対する認識を変えてみてください。

 

もう一度言います。認識です。

「人間とはどういう生き物なのか」という認識です。

 

なぜかを説明します。

学校の先生といっても、全ての先生がガチガチな教え方なわけではありません。

少数ですが、親方のようにわざと隙間をつくる先生に私は出会ってきました。

 

『わざと隙間をつくる』

 

そんな教え方をする先生には共通する「人に対しての認識」があります。

 

その認識とは「人はグレーである」という認識です。

 

このグレーは「善と悪」の色分けです。

善人が白、悪人が黒。

 

そして人間はどちらでもないグレーである、ということです。

 

どこまでいっても、突き詰めてもグレーなんです。真っ白にも、真っ黒にもなりません。

 

グレーを認識すると教え方が変わる

「人はグレーである」という認識で親方の指導を見てみましょう。

 

稀勢の里の親方は相撲には厳格でした。妥協を許さなかった。

でも門限に関しては「裏門は開けておけ」と指導していました。

 

それは「人はグレーである」という認識があれば決断出来るんです。

 

つまり親方はこう考えたはずです。

 

ガチガチに指導しても、人は真っ白にはならない。

ならガチガチにして自主性を奪うより、グレーであることを認めて裏門は開けておいた方がいい

弟子たちが「明日の稽古のために早く帰ろう」と決断したとき、心は強くなる

 

おそらくはそんな考えだったはずです。

 

そう言えるのは稀勢の里が横綱昇格という結果を出したから。

 

どんな競技でも心技体そろって強くなります。

横綱という結果を出した稀勢の里に自主性や心の強さがない、とはとても思えません。

 

しつこいですが人はグレーです。

学校の先生を参考にするのが一番理解しやすいかな、と思います。

ガチガチな指導をする人ほど「人はグレーである」という認識に乏しいものです。

 

「真っ白な人間が正しい。だからあなたは真っ白になりなさい」と指導します。

 

でもそれは誰も達することのできない人格なんです。

「真っ白になれ」という先生自身がグレーですし。

 

「何が何でも白にしよう」という人はガチガチに子どもたちの行動を管理していきます。

 

結果は見た目は出来ています。

ただ心の中は「僕は出来ない」「私は自信がない」という状態です。

 

一歩でも白に近づけばいい

「人はどこまでいってもグレーである」と認識している人は「白に近づくことが大事」と考えます。

 

少しでもいいから白に近づけばいいんです。

そして失敗したり、白に近づけなくても「そういうものだ」と受け止めます。

 

だから自主性を重んじることが出来ます。

親方でいえば「裏門は開けておく」という隙間をつくっても気にせずにいられるんです。

 

何度も言いますが「人はグレーである」という認識を持ってみてください。

 

日常の色んな場面で相手の自主性を重んじることが出来ます。

 

「ダメになったりしないかな」と心配することがグッと少なくなりますよ。