ただいま障害者週間です。
毎年12月3日~12月9日までは社会における障害者理解を深めるために、この期間は障害者週間としてさまざまなイベントが催されています。
私自身福祉関係のイベントに参加することが何度もあります。
時にはお客として、時には関係者として露店に立ち一日中焼きそばを作り続けたこともあります。
朝から晩まで焼き続けたら服はソースだらけ。
ニオイが染みついて帰りのバスは『この人焼きそばクサ~い』と思われているんじゃないか、と自意識過剰になってました。
さて、その障害者週間では各地でイベントをやっているはずです。
障害ある人への理解を地域に進めようという趣旨が多いと思いますが、どうにも”福祉関係者だけのイベント”になる傾向があるようです。
例えばお祭りのようなものでは、地域の人も参加できるようになっています。
ただ実際には障害ある人との触れ合いはなく、離れた位置にいます。
ただやっぱり実際触れ合うことだと思うんですよ。
例えば好きなアーティストの音楽を「CDで聴く」のと「ライブ会場で観て聴く」とでは感じるものがけた違いです。
ましてやアーティストが目の前にいるとさらに違いますよね。
「今、本人が目の前にいる」という肌感、ライブ感です。
障害者理解を進めるにはやっぱり会って、出来れば触れ合うことです。
その方法が一番手堅く、むしろそれしかないのかもしれません。
私はなぜボッチャで〇〇万円も自腹割っているのか
『俺って偉いでしょ?』ってことはないですからね。
私以上に支出している人もいるでしょうし。
よりリアルに感じてもらうため数字を出してみました。
私は障害者スポーツのボッチャという球技の団体運営をしています。また県協会の役員です。
団体運営、役員ともに報酬はありません。支出の一方です。
ボッチャ用のボールは1セット6万円ほどのを持っています。
でも私は練習中一切ボール投げないんです。
私は選手ではなく、審判やったり介助者をやっています。大会に出たこともないです。
でもボールは自腹で買ったのです。投げないのに。あれ?じゃあ何で俺、ボール買ったんだろう・・
でも、これ全部自分のためにやっています。
何が自分のためかというとボッチャをやっている人たちは輝いているんですよ
それを見ているのが楽しいのです。
この感覚、ボッチャの団体運営している人なら分かるはずです。
輝きが半端ないのです。
この「人を輝かせること」が今回のメインテーマ。
私が障害者福祉の世界にいて「うーん、輝きが足りないな。あったらもっと上手くいくのにな」と感じることです。
というわけで輝くことについてを解説いたします。
あなたが輝く瞬間はいつですか?
人が輝く瞬間というのは誰でも同じです。
例えば恋愛中の人ですね。
「恋をするとキレイになる」っていうじゃないですか。
初恋やそれ以降でも好きで好きでたまらなかった人がみなさんいたでしょう?
朝起きて「あーあの人は今何してるのかな」と真っ先に考えてしまうくらい夢中になれた恋愛ですよ。
あの頃の自分って輝いていたと思いませんか?何十年経っても忘れない思い出のはずです。
恋愛以外でもスポーツや音楽でもいいのです。
部活に一生懸命だった時間、目標を持ってそれを追いかけていた時間は何よりも自分が輝いていた時間のはずです。
人が最も輝く瞬間は「やりたいことをやっているとき」「好きな物事に夢中になっているとき」なんです。
それは傍からみていてもそうです。
私が友人家族とカラオケに行ったときのことです。
若いお母さんと娘さんが歌っていたのですが、お母さんがマルモリ・・だったかな。娘さんと一緒に歌っていたのです。
そのお母さんは感情をストレートに表現する人。
曲を歌い終わったあと「産まれてきてくれてありがと!」って娘さんにチュッて感じでキスしたんですよ。
『素敵やん・・・』
と、感動したのと同時に親子が非常に魅力的な関係に思えました。
もう何年も前ですがずっと覚えているのです。
好きで好きで堪らないものと向き合っている姿は、それを見ている側も惹きつけられるんです。
気乗りしない仕事で感動はない
人が輝くのは何かに夢中になっているときです。
この考え方でいくと「障害者理解のために」ということで一般的に行われている方法にはもう一工夫出来るはずです。
私が見た事例を一つ話します。
とあるイベントで知的に障害ある人たちが大勢ステージに立っていました。
それぞれは普段頑張っている仕事を述べて内容を紹介して、最後にみんなで手をつないで終わり、というのがありました。
失礼な話なんですが。
こういうのは明るいように見えてちょっと暗いと思うんですよ。
その人が枠にはまっている姿、気持ちや感情が見えないものは建前のように思えてつまらないのです。
「サラリーマンが俺の生きがいだぜ!」っていう人がまずいないように「内職仕事が俺の生きがいだぜ!」って言える人はいないでしょう。
もしいたら「君は本当にそれでいいの!?」と私なら思うかな。
んーまだ分かりにくいですね。
掘り下げるためもう一つ例を挙げます。
2016年にリオパラリンピックがあり、今までにないくらいにテレビで大体的に放送されました。
一般の人から「感動した。障害者を見る目が変わりました」というポジティブな感想を聞きます。
障害者を見る目が変わりました
この理由は、今まで障害者の生活といえば「枠内にはまって、慎ましく生活している姿」しか見せていなかったからではないでしょうか。
無欲で喧嘩をせず平和なイメージとでも言いましょうか。
しかしリオパラリンピックでは従来のイメージとは逆の姿が映ったわけです。
競技に目の色を変えて取り組む姿、勝利して雄たけびを上げる姿に視聴者は感情を動かされ共感したと思うのです。
「障害者スポーツも健常者のスポーツも競技は違えど気持ちの部分で熱くて感動できる」ということでしょう。
話の結論は
「ではどうすればいいの?」
というと一つの例ではリオパラリンピックがいい例ですね。
その人の好きな事や輝いている姿を見てもらって、そのあとに「でもこんな事で困っているんです」と伝えることだと思います。
もう一つ。
障害ある人とそうでない人が一緒に楽しめるものがあれば最高ですよね。
それもルールや仕組みが簡単な方で、深みがあるものがベスト。
「えーそんな都合いいものなんてあるの??」
って思うでしょうが、あるんですよ、これが。
それが私が普及活動して役員もやっているボッチャです。
このボッチャは非常にルールがシンプルなのですが奥が深い。
実際に私は小学生から大学生までと普段ボッチャをやっている障害ある人たちとの交流会を行いました。
その感想の中で「障害ある人を身近に感じた」という的を得た声が聞けました。
身近に感じたのは一緒に同じ競技をしたのと、障害ある人が夢中でボッチャをやっている姿に共感できたからでしょう。
というわけで今回のお話しは
「いいからお前らボッチャやってみ」
・・ではなくて。
どうにも障害ある人の世界は立派さや外観を気にするところがあると思うのです。
そうではなくもっと好きなことや得意なことに没頭した方が楽しいですし、そっちの方が良い結果が生まれることだってあるんですよ。
好きなことやって良い結果がでる
最高じゃないですか。
もちろん全ての物事において通ずるわけでもないですよ。
でもよーく見て欲しいのです。
「立派になることよりもやりたいことやることでうまくいく」なんてことは障害者福祉の世界では多くみられます。
好きな事や得意な事に没頭することはその人を輝かせます。
その瞬間は誰でも幸せなものですし見ている人を惹きつけます。
だから「出来ること」ってすごく大切なんですよ。
出来る事ばっかりやるのは見栄えが悪いんです。頑張っている感じがしなくて立派な姿ではない。
遊んでいるようにも見えるでしょう。
立派なのは嫌なことを我慢している姿。遊んでいません。
でも必要以上に我慢する必要はなく、その姿に感情は動かされません。
例えば学校では「出来ないこと」に注目しますが、もっと「出来ること」に目を向けた方が効率がいいことが沢山あるんです。
それを伝えるのがこのサイト夢へのEn-Zin(エンジン)の意義です。
なので落ち込んだときや元気を出したいときはこのサイトを覗いてみてください。
好きなことやって結果出そうぜ!
っていうポジティブシンキング解説サイトですから、ここは。