とある車椅子に乗る男の子の話です。

 

私は障害者スポーツの団体運営をやっていて、時折クリスマス会をしています。

クリスマス会では食事したあとにゲーム大会するのが通例。その会では食費とゲーム参加費をいただく仕組みになっています。

 

その中で「僕はゲーム大会は見学でいいですか?」と言ってきた車椅子に乗る男の子がいました。

する、しないは自由なのでもちろんOKです。

 

なぜ見学かの理由はど忘れしましたが、みんなが参加するゲームの中一人だけ「参加しない」と意思表示するのはなかなか出来ないこと。

「自分で考えて行動してるなぁ」と感心しました。

 

彼は特別支援学校卒業で身体障害があり車椅子に乗っています。

私は彼の生活面の介助に入ったことがありますが礼節に正しいものでした。相手に気遣いながらの自分の意見を言えます。

「お見事だな、この子は」と思ったので、その理由を探るため彼のお母さんに話を聞いてきました。

 

病院の先生とは逆をやるとどうなるのか

彼がまだ小さいとき、小児医療の病院へ通っていた時期の話です。

最初いた病院の先生や看護師さんたちは生活の介助を「お母さんがしてあげてましょう」と言うスタンスでした。

理由は「障害があるんだから。お母さんは手伝ってあげるのが当たり前」というもの。

 

お母さんはその意見に違和感を感じたそうです。

「今はそれでいいかもしれないけど、将来はどうなるの?出来ることは自分でやってもらった方がいいんじゃないの?」

そう思ったそうです。

 

でも専門家である先生は「いやいやお母さんがやってあげてね」というスタンス。

お母さんはそれでも「やっぱり違うんじゃないか?」思ったそうです。

 

そこで他の病院はどんな考えなのかを調べました。

やがて自分の考えに近い他府県にある病院にたどり着きました。

 

その病院では今までとは逆の「出来ることはなるべく自分でやってもらう」というスタンスです。

 

例えば食事の際は「汚してもいいから自分で食べれるようになってもらいましょう。お腹が空いたら自分でお箸やスプーンを使って食べるようになります。無理なら手を使ってもいいじゃないですか」先生はそういったそうです。

 

着替えも自分でやってもらおうとしました。

子どもは脳性麻痺により強い筋緊張があります。座位の姿勢は取れません。

 

でも先生と相談の上に「出来ないかもしれない。でもまずは挑戦してもらいましょう」といって取り組むことに。

結果、自分で創意工夫しながら着替えられるようになりました。

 

前にいた病院では「この子は言葉を話すことは将来的にもできません。親、家族など他者への認知も出来ないでしょう」そうも言われたそうです。

ところが育ってみると実際は違います。彼は「ありがとうございます」「お願い出来ますか?」と敬語を使えるほどです。

 

またある年齢に達したら股関節の手術を奨められました。

でも「みんな同じ年齢で股関節が悪くなるものなの?」と疑問に思い調べたら「悪くなってからでいい」という病院に出会い、その通りにしました。

年齢ではなく個別対応で十分だったんです。

 

先生は正しいのか?

私も先生だったのですが、数々の見込み違いや失敗をしました。

 

私は障害者スポーツのボッチャという球技の団体を運営しています。

あるお母さんが「ウチの子にもボッチャをさせてください」と依頼してきてくれました。

嬉しかったのですが、その子は重度の身体障害があり、意思表示は「はい、いいえ」くらいです。

 

私は「この子は参加は出来るけど楽しめないのではないか」そう思いました。ただお母さんの熱意があったので「まずやってみましょう」とやってみることに。

 

結果、彼は補助具を使ってボールを転がすことは出来ますがそれ以上のことは出来ません。

試合にも出られず練習のみの参加です。

 

私は「彼は楽しくないんじゃないかな」「断るべきだったのでは?」そう思っていました。

 

ある日、授業で彼と二人っきりになる時間がありました。

私は彼に「スポーツ楽しい?」と尋ねました。彼の返事は「はい」でした。

彼は卒業して社会人ですが今も続けています。

 

ある日、彼のお母さんから手紙をもらいました。

手紙には『息子はボッチャを初めて仲間の輪に入れました。”今日練習だと”と言われたりするのが嬉しいのだと思います。私も休日に練習へ向かう息子を玄関で見送るとき、その姿をとても嬉しく思っています。』

そう書かれていました。

読んでて私は恥ずかしいやら申し訳ないやらの気持ちでした。

 

答えは他人ではなく自分の中

「この子はどうしたいんだろう?」「私はどうしたいんだろう?」という主観を大切にしてください。

 

当サイトではメールマガジンを発行していますが「自分の気持ちが分かりました」という読者さんからの声をいただくようになってきました。

それほどまでに「自分はどうしたいのか」はかき消されやすいものです。

 

私は先生や常識で決めるよりも「あなたはどうしたいのですか?」で最終的に物事をは決めるべきと考えています。

 

まずは自分の気持ちに気づこう

子どもが「自分はどうしたいのか」という自分らしさを守るにはお母さんがまずご自身の気持ちに気づくことが先です。

我慢していること、抑えていることに気づいたならそれを破ってみてください。

今まで我慢していた映画を観るとか友達に会うなど簡単なことで構いません。

 

「私って何か我慢してるのかな??」と思われるなら、気づいていない可能性もあります。

先述の「自分の気持ちが分かりました」という読者の方は私の体験談を通して「自分にも同じことがあったな」と自己を振り返ったそうです。

 

このサイトは夢へのenzinの目的は正にそれです。お母さんが自分らしさに気づくことは子どものためにもなります。

それを再現するのが私の目標です。