強調しておきますけど教育の話ですから。
まぁ「不倫騒動の人を教育の題材にあげるってどうよ?」
という自分自身へのツッコミもあるんですけども。
ただ乙武さんは障がいある子の教育にとってかなり重要な部分を具現化している人なんです。
簡単に言うと「乙武さんが良いお手本」ということですね。
・・・不倫OKとか言っているんじゃないですよ。
今回は「スゴイ結果を出す」障がいある子についての話をします。
私は特別支援学校での勤務経験があります。
その中で「この子スゲーな」と思える子は大体同じような考え方をしています。そんなお話です。
「出来ること」を見ているから行動できる
「この子スゲーな」と思わせる子は一人ではないのですが、代表例としてK君をあげます。
K君は知的障がいと身体障がいを併せもっており車椅子に乗ってます。
下半身は麻痺のため自由に動かせませんが、両腕は自由に動きます。現在は一人暮らしをしています。
K君は特別支援学校卒業後は親からの援助は一切受けず、日常生活全てを一人でこなしています。
行政手続きなど複雑な部分はサポートを受けていますが、そういった特別な場合を除き全て一人です。
彼は学生時代から「自分は卒業後一人暮らしをする」と決めていました。
そのために必要なことを考え、分からないことは周囲に相談しながら、卒業から2年、念願の一人暮らしをして現在も続けています。
繰り返しますが、彼には知的障がいがあります。両足は不自由なため立ちあがるには何かにつかまらないと出来ません。
K君の一人暮らしについて心配する声もありました。
しかし彼はそんな声をはねのけ、一人暮らしを始めます。
結果始めてから数年経ってますが、沢山の失敗を繰り返しながらも毎日のやりくりが出来ています。
乙武さんのように有名になったり、沢山の収入を得ているわけではないK君です。
ですが私は彼がスゴイ人間だと思います。K君は自分の持てる力を最大限に引き出しているからです。
重度障がい、軽度障がい・・・というよりも障がいは関係ないですね。
周囲が驚くような結果を出す人というのは自らの力を最大限に引き出している人です。
そのような人はみな同じ発想を持っています。
自分の「出来ない」ではなく「出来ること」を強く見ているのです。
自らの力を最大限に引き出すためには
乙武さんもK君も同じです。自らの力を最大限に発揮して周囲を脅かせる結果を出しています。
なぜこうなるのか。それは彼らの前向きな考え方にあります。
前向きな考え方、一言で言うと自信です。
自信をつけるには自らの出来る部分を見ることです。
乙武さんは手足がありません。
K君は知的障がいがあり、両足が思うように動きません。
彼らの「出来ない部分」を見てみてください。そこだけを見ると全てが不可能のように思えます。
しかし乙武さんには口があり、言葉があります。
K君には両腕があります。
それら出来ることを最大限に生かして結果を出しているのが二人です。
これは二人だけに共通することではないんです。
例えば特別支援学校卒業後WEBデザイナーになっている子。
アルバイトでの企業入社後、働きが認められ正社員になった子。
どこの作業所でも「来てください」と言われた中程度の知的障がいの子。
周りから「スゴイ」と思わせる結果を出す子に共通する点です。
彼らは自らの「出来る部分」を見ています。
乙武さんは「手足のない自分」ではなく「口でパソコン操作できる自分」「言葉で意思を伝えられる自分」を見ています。
だから大学進学して勉強して、本を書いたり、スポーツライターになったり、TVのコメンテーターになったりします。
それらは「パソコン操作と言葉」があれば出来ることですから。
K君は「歩けない自分」ではなく「車椅子で移動できる自分」「両手が自由に使える自分」を見ています。
だから一人暮らしをします。一人で移動できて両腕で家事全般がこなせるなら一人暮らしは出来ます。
「もっと自信を持ちたい」「前向きな考え方になりたい」という場合は彼らが参考になります。
とはいえ自分らしく生きましょう
「スゴイ結果を出すためには」とか言っておきながら矛盾しているようにも思えますが。
今から言うことは「絶対これが正しい」「そうあらねばならない」ということではないのですが。
私は「自分らしく生きられるのが一番の幸せ」だと考えております。
一生懸命何かを頑張りたい人は頑張ればいいですし、ほどほどでいいと思うならそれでいいと思います。
「頑張らないとダメだ」なんていうのは上から目線であり、自分を基準にした考えではないのか、と。
例えばイチロー選手やソフトバンク社長の孫正義氏からすれば私なんて頑張ってない怠惰な人間でしょう。
イチロー選手が「世の中の人は自分みたいにもっと頑張らないとダメだ」と発言したら世間は「自分を基準にするな」と猛反発をするはず。
それと同じです。自分が出来るからと言って相手に同じものを求めるのは、ある意味酷な話ではないか、と。
「自分らしく生きられた人が幸せ」なんじゃないか、と私は思います。
何でこんなことを言うのかというと、私は「世間に合わせよう。合わせないとダメだ」という思いから頑張りすぎるお母さんやお子さんを多く見てきました。
中には二次障がいと言えるほどまで傷ついた子もいます。
心を傷つけてまでも世の中に合わせる必要はない、と思うのです。
「障がいある子を世間に合わせすぎない」くらい”いい加減”な方が子どもは自己肯定感が持てると思います。
自己肯定感が持てる子は色んな事に挑戦していきます。その行動が自信につながっていきます。
参考までに。