えー、私はもらった表彰状をその日にゴミ箱に捨てたことがあります。
『こいつ頭大丈夫か?』と思われそうなんですがホントの話。
表彰されたのは、もう十数年間の話でアルバイト先での出来事でした。
私のバイト先は正式名は伏せますが日本全国誰でも知っているような会社です。
そこでバイト初めて二年目だったと思います。
『おめでとう。今度表彰されることになったよ』
と上司に言われたのです。
『なんで??』と思ったので上司に聞くと『優秀な成績を収めたから』とのこと。
しかしながら成績で言えば私より優秀な人はいるのです。
謙遜でも何でもなくて、私自身がむしゃらにバイトする気もないので『クビにならなきゃいいや』程度の意欲です。
なので成績は普通くらいです。それは見て分かる結果です。
それでも『優秀な成績を収めたから表彰します』というのは建前の話なんです。
隠れた本音がどこかにあるはずです。
『なんで俺なんだ??』と自分なりに考えた結果。
出たのは『俺はバイトの中で一番礼儀正しかったからだろう』という結論に至りました。
というのもバイト先はい完全な企業ではないのです。
半官半民な会社。
半分くらい税金や国から守られているのです。よって社風や規則が緩い。
口のきき方や勤務態度もまぁ緩いものでした。
平社員やバイトが上司にため口をきいたり、反抗的な態度をとって『やってられんわー』と大声で言ったりもします。
その中で私は上司を立てていたというか周りの平社員やバイトと同じ行動をしなかったので目立ったのでしょう。
『上司は上司として扱う』という態度をとっていたので、それが『優秀な成績を収めた』ということになったんでしょう。
かくして私含め数名が表彰されることになりました。
ただ頂戴した表彰状は家帰ってすぐにゴミ箱へと召されました。
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photo by aki sato
普段は『捨てられない派』
もらった表彰状、その日に捨てましたが、私は普段は『もらったモノは捨てられなくて困る』というタイプです。
私の部屋にも今までいただいたものが多くあります。
溜まっていくどうするかというと実家に置くか、写真に撮ってから捨てるか。
つまり捨てるのは苦手な方です。
ではなぜバイト先でもらった表彰状は即日捨てたのか。
答えはシンプルですが全然、これぽっちも嬉しくなかったからです。
なぜ嬉しくなかったのか
先述しましたように私は特別成績が良かったわけではないのです。
私より優秀な人はいます。
おそらく表彰状を授与された理由は礼儀正しい態度によるものです。
その職場は上下関係が緩く上司に反抗的な態度をとります。
上司的には成績が良くてもその人たちを表彰するわけにはいかなかったのでしょう。
表彰状を受け取っても嬉しくなかった理由はそこにあります。
失礼ながらも当時の上司は尊敬できる人ではありませんでした。※全員ではないですけどね。
ただ給料はもらっているので『バイトはバイトらしくしないとダメだろう』という一般常識に従って上司を立てただけです。
内心は『うーん、この上司はないなぁ』と思ってたんです。要はうわべの態度だったんですね。
うわべの部分を褒められても嬉しくないのです。
だから表彰式と表彰状への喜びは全くなく、その日に捨てました。
未だに捨てられない貯金箱
私は以前は九年間特別支援学校で先生をやっていました。
その中で同僚の先生からもらったもので未だに捨てられない貯金箱があります。
いつか捨てることがあっても必ず写真に撮るでしょうね。大事な一品です。
なぜかというと貯金箱と一緒にもらった手紙が理由です。
その内容が私の行動原理をよく理解してくれていて心に刺さったのです。
自分らしくやった行動の結果が嬉しい
『もらった表彰状をその日に捨てる』
私の行動は極端かもしれませんが嬉しいと感じる原理はみんな同じです。
『自分らしくやった行動か』が嬉しいか嬉しくないかの分岐点です。
褒められて嬉しいのは『自分らしくやったこと』ことです。
世間の常識や他者から命令されてやったことに喜びはないのです。
私が表彰状をその日に捨てたのは『一般常識に従ってやってたことを褒められたから』というもの。
貯金箱を未だに捨てられないは『自分の意志でやった行動を見てくれていてそれを褒められたから』
自分らしく生きた結果に喜びがある
そう考えてみてください。
質問になりますが、例えば道で倒れている人がいるとします。
あなたはその人を助けました。
その行動を褒められたとき、どちらが嬉しいか想像してみてください。
『助けないと悪い人と思われるんじゃないか』そんな人の目を気にしてその人を助けた場合
『助けなきゃ』と自分の意志でその人を助けた場合
表彰されたとして深く嬉しいのは自分の意志で助けた場合ではないですか?
他者の目や意見を動機に行動した場合は表彰されても違和感を覚えるはずです。
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photo by Cheshire Police
障害ある子の環境から考える
障害のある子は小さい頃から非常に多くの大人に囲まれて生きています。
大人たちは多くの意見をいい『こうしなさい』と行動を子どもたちに促します。
そこに悪意はなくあくまでも親切心なのですが、それが障害ある子たちから喜びを奪っています。
ただ誰かの言うとおりにやった行動を褒められても嬉しくないのです。
嬉しいのは自分らしく、つまり自分で選んだ行動の結果です。
毎日誰かの指示に従ってそれを褒められるのは一見優秀で見ている側からすれば満足出来ます。
ただ本人にとってはむなしい毎日です。見た目と本心にギャップがあるのです。
他人の意見、世間にある常識に従った行動を褒められても喜びはない
自分らしく生きた結果に喜びはある
周りにいる大人の指示や促しが喜びを奪う場合がある
そんなことを意識してみてください。
具体的な行動で言えば本人が選ぶ機会を増やしてみましょう。
何を選ばされないいのか分からないのなら子どもが選びたくなる選択肢です。
例えば「ハンバーグとラーメンが好き」というのなら「夕食はハンバーグかラーメンどっちがいい?」でもいいんです。
学校へ通う年齢なら「中学校と特別支援学校どっちがいい?」という重大な選択を本人にさせるのもいいと思います。
選択することは自分の人生に責任をもつということです。
生きている実感が湧くことでしょう。
不安もあるでしょうが本人の選択を大事に多少の間違いは目を瞑ってみてください。
自分の人生を歩むことに喜びはあります。今までにない表情を見せるかもしれませんよ。