私は小学校のころ、先生からの質問には「はーい!」と手を挙げていました。
「俺に当ててくれー!」とばかりに限界まで手を伸ばしアピール。
「間違っていたらどうしょう」など微塵にも思いません。間違えていたらそれはそれ。
中学校になると「違っていたらどうしよう」「みんなは手をあげるのかな?」と気になってきます。
「自分の意見を持つことが大事だ」
「生きる力を育もう」
学校ではそんな自主性や個性を育もうとしていますが、土台が無理なんです。
学校とは個性をなくして、周りに合わせる場所です。それは一つの社会性の一部。
その反対の個性や自主性は育たないという仕組みです。
世の中は子どもらに個性や自主性を求めながら、みんなと同じを求めてくる。
「どうすんだよ!?」という葛藤を子どもたちは持っています。
彼らに対し大人が出来ることは失敗したあとのフォローです。
ぶつかる。失敗する。一緒に落ちこまない。
話を聞いてあげて「次はこうしよう」と意欲を引き出す。
「自分は間違っているんだろうか」と思い悩んでいるのが中学、高校生です。
ただ「2+3」の答えは5ですが、正解のないことなんていくらでもあります。
自分だけの正解を見つけるしかないんです。
やってはいけないのはみんなの正解を自分の正解とすること。
中学生くらいになると「夢はお金持ち」と言う子が増えますが、自分の正解を見失っている現象でしょう。
自分だけの正解を見つけるには問題を解くしかありません。
大人は意見を言わずに問題を解いている様子を見守りましょう。
自分だけの正解とは信念のようなものです。
凜とした人間、筋の通った人間になるために必要なもの。
挫折したときの支えや、道しるべにもなります。
価値のあるものとは、周りでなく自分の中にあるものです。
「みんなと同じか?」でなく「自分の正解や価値観を持っているか?」の方が大事なんです。
お家の役割は学校の反対にあるんです。調整役なんですよ。
バッサリ言って学校は自分だけの正解を忘れる場所です。
家では反対の役割「僕は(私は)こう思う」を尊重してあげてください。
意見は最小限に、教えるのではなく、聞く方が大事です。