私は大学受験の際、勉強に集中出来ませんでした。
「勉強方法が悪いんじゃないか」
そう思って参考書を調べ上げて購入しましたが、効果はなし。
今思えば、本当にすべきは受験するための動機探しでした。
参考書や勉強方法が悪いのではなく大学へ行く動機があやふやだったのです。
勉強の工夫と量を増やすけど動機はあやふやなまま。
私と同じ過ちを今の子どもたちもしていると感じています。
子どもたちに必要なのは能力だろうか
学校の役割とは「ルール遵守と能力」といえばご理解いただけると思います。
生きる動機を見つけられない場所でもあります。
私の感覚の話ですが、子どもたちは道が見えなくて立ちすくしているように思えています。
生きる動機の源は自分の好きなものです。
好きなものが道をつくります。
恋愛が分かりやすいでしょう。今までで一番情熱的になった恋愛を思い出してください。
好きな人が出来たことで「もっとキレイになろう」「カッコよくなろう」と努力されたのではないでしょうか。
結果、魅力的になれ恋人や結婚が出来ましたよね。
「好きだ!」と強烈に思えば思うほど、目の前に道は出来上がっていきます。
子どもたちが自分の道が見つけられないのは「好き」を尊重されないからです。
学校では「好き」は評価されません。評価のしようもないものです。
自分の好きなものを通し、世界観を育むことがストップされ、立ち尽くしているのが子どもたちです。
家庭が学校のようになっている
本来、家庭とは能力の有無関係なく子どもを受け入れる場所ではないでしょうか。
子育てとは生活です。
学校や商業的な謳い文句もあるのでしょう。
「ルールと能力向上」までも家庭の役割になっています。
学校では評価されない、受験に関係もない「好き」が道をつくります。
好きなものに熱中している姿と結果を褒めてあげてください。
絵を描くのに夢中になっている。スポーツに打ち込んでいる。
ヒーローごっこやおままごとに夢中になっている。
そんな姿を「くだらない」ではなく「いいな」と思う。
「好きだ!」と強烈に思えれば、そこから道は自然と出来上がります。
受験というハードルがあっても、自分の道の上でなら子どもたちは励みます。
家庭では能力の上下で一喜一憂する必要なく「好き」を育む姿勢でいてください。
親子の関係もグッと良くなりますよ。
家庭の役割が明確化されれば、日本中の子どもたちが自分の道を見つけられるようになると私は信じております。