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 センスはみんなにある

「自分の人生を良いものにしたい」

人にはそんな当たり前の本能があります。

無意味な自爆をする人はいません。

 

特別支援学校での先生時代。

無意味な自爆行為をする生徒がいました。

あえて先生に反抗して、あえて怒られています。

彼は右手に麻痺がありました。

まったく動かないわけではなく、物を握ったり、両手で持つなど出来ます。

出来るけど、彼は使わないのです。

日常生活の多くを動く左手と口を使ってこなしています。

先生から注意されても使うのは拒否します。

 

使わないのには理由がありました。

小学校時代に麻痺した右手をからかわれたのです。

使わない原因は心の傷であり、理屈が分かってないわけではありません。

 

センスパラライズ(感性麻痺)という状態があります。

世の中のほとんどの人が認識していない。感性の麻痺です。

 

人生はセンス(感性)で決まります。

自らのセンスに気づくか、気づかないか、持っているか、なくすか。

 

センスとは生き方の地図であり、コンパスです。

彼は小学校時代の辛い経験により、地図とコンパスが狂った状態です。

何が自分にとって最良かが分からないのです。

 

非常に重要なことなので是非意識してください。

みんな生まれながらにセンスを持っています。花が好き、電車が好き、人が好きなどです。

センスはどう生きるかの道しるべになります。

 

「夢はないのが普通」

こんな言葉がなぜ定着してしまっているのか。

成長していく過程でセンスをなくしていくからです。

 

センスを奪うものは罠のようにあちこちにあります。

過度のしつけや教育、虐待や育児放棄、テストの点数での優劣。

 

テストの点数で人間の上下が計れると思いますか。

私は支援学校先生時代にそんな常識は吹き飛びました。

毎日「好きよ!」と言ってくれる生徒がいました。

「私幸せ」と素直に言える子がいました。

どこかの会長じゃないですが、ふんぞり返って我が身しか考えない人間と比べたら遥かに彼らの方がいい。

 

不良で良い奴はくさるほどいます。

先生で最低な人間はいます。

数字で優劣つけられない基準は星の数ほどあります。

 

なのに。

なぜ点数、学歴、お金、地位などで人間の優劣が問われるのか。

その優劣基準で一番得しているのは誰か。

よーく考えてみてください。「罠」が仕掛けられています。

「罠」にかかり、他人から優劣基準を信じこみ「自分にはセンスがない」と思い込む人が多いのです。

 

彼は現在、社会人になって働いています。

数字では計れない彼の良さは1年一緒にいれば山のように見つかりました。

ただそれは成績表では出せないのです。

成績表で出せないだけ。客観的に計れないだけ。

良さやセンスは誰にでもあります。

 

私は先生時代に研修会を受けました。

子どもの全部を客観化して評価して、客観的な目標を決める。そんな手法が研修でありました。

「アホか?」と思っていました。

「誰得やねん?」という話です。

 

センスパラライズ(感性の麻痺)の話です。

多くの先生が理屈で彼を指導していました。

「右手使った方が便利じゃないか」

「動くんだからちゃんと使いなさい」

そういう問題じゃないんです。

 

「君のためになるから言っているんだぞ!」と怒り出す先生もいました。

全く見当違いです。

 

「分かる、分からない」の問題じゃないんです。

彼は小学校時代に受けた傷が癒えてないんです。

 

彼は今、選べないんです。

感性が麻痺して自分が分からない。

「自分ってなんだろう」「やりたいことってなんだろう」が分からない。

 

「右手使った方が便利だ」

分かってますよ、そんなの。先生から言われなくても。

足が痺れているときに「よく考えなさい」と説教されたら「出来るかアホ!」と思います。

誰でもそうです。私もそうです。

 

センス(感性)の問題なんです。

お説教や理屈はナンセンス。

頭に働きかける行為はセンスを鈍くさせます。

 

好きなこと、得意なこと、熱中出来ることが大切です。

学校ではこれっぽちも評価されないそれらですが、センスにおいて非常に大事です。

 

彼は遊びや気持ちを話すことでセンスパラライズ(感性麻痺)から復帰しました。

自ら両手で拍手したり、袋をかけたり、右手を使うようになりました。

センス(感性)が復活したからです。頭に訴える理屈では決してない。

 

今の世の中は頭ばかり動かしています。

頭脳で地図を描き、頭で方向を決めています。

たどり着いた先は「なんか違う」という違和感あるゴールではないでしょうか。

 

センスで描くんです。

私達には「自分のセンスを生かして社会に役立ちたい」という普遍の欲求があります。

 

今、多くの大人、子どもたちがセンスパラライズになっています。

頭で行動するようになって、みんな右向け右で生きています。

 

そんな人生望んでないでしょう?

 

人はそれぞれに良いもの、惹かれるもの、感じる事が違います。

人はヘンテコな生き物であり、いびつで個性的なのです。

「それを整えるのが学校教育だ」というのなら、夢を奪っているのは学校教育です。

 

嫌があって当たり前です。

好きがあって当然です。

センスが見つかれば誰でも夢を抱くことができます。

 

感じること、思うこと。心をどんどん動かしていってください。

センスはなくなりません。もう一度見つけにいきましょう。