無理して帰るものではない

とある相談者さん(女性)からのお話です。

「義理の父親が苦手です。夏休みは子どもを連れて帰省するのですが憂鬱なんです。どうすればいいでしょうか」

 

結論から言いますと「帰らない方がいいですよ」となります。

お話聞いていけば「振り回される」のレベルを超えているものでした。

義父は召使いのように命令し、お金の無心もしてくるそうです。

 

「なんで今まで帰っていたのですか?」と私は質問しました。

「義父は『当然帰るものだ』と思っているもので・・」とのお返事。

 

こういうお話、よくいただきます。

「お盆だから帰省するのが当たり前」

「家族だから帰ってきなさい」

これは屁理屈です。

 

今回の相談者さんで言えば、お盆に帰省してほしいなら義父はお金の無心をしてはいけません。

命令しても、ふんぞり返ってもいけません。

 

帰省したくなるように、「よく来てくれたね」ともてなして迎えるのが当たり前です。

 

「家族仲良く」は建前です。

必ず例外があり、誰かに相談したくなるくらいに嫌だったのなら絶対に帰るべきではありません。

もちろん、ネット検索で「実家に帰らないで済む方法」など調べている方も同じです。

 

「家族仲良く」というお題目は、構成員がそれぞれわきまえた行動を取れる場合のみ

何が何でも家族仲良くは、絶対違います。

それはもう自分の気持ちをないがしろにした行為です。

 

「嫌な気持ちを耐え忍んで、帰省する」

これは不自然極まりない。相手側の落ち度なのに、こちらが合わせる必要はない。

 

相談者さんはお母さんです。

小学生の長女さんと、幼稚園の男の子がいます。

 

「子どもたちは義父に懐いているんです。帰省しないとダメかなと思うんです」

そうもおっしゃっていました。

 

これもね、違うんです。

お気持ちは大変良いもので、優しさがあります。

 

確かに、お祖父ちゃん、おばあちゃんに会いたいかもしれません。

でも自分の親が無理して帰省していると思ったら。お子さんはどう思うか。

 

親御さんの気持ちが分からないから「会いたい!」とお子さんは言っているだけなんです。

分かれば「会うのはいいや」と思うものです。

 

ご自身が帰省するのが、嫌であればお気持ちのままに控えてみてください。

その分、お子さんたちに寛容に優しくなれます。

 

人の心とは不思議なもので連鎖します。

親が自分の気持ちに正直になると、子どもの正直さを受けとめられるようになるのです。

 

人生において正直さや素直さ、自分を偽らない事は生きる命題のようなもの。

ありのままを受けとめられた子は、人生を主体的に生きることが出来ます。

「生きるって楽しいな!」と思えるものです。

 

この感覚を味わった子が大人になればどうなるか。

世の中へ喜びを分け合える子になってくれるんですよ。

 

親が無理しない⇒子どもも無理しない⇒毎日が楽しくなる⇒喜びを分け合う人になる

こういうフローを辿ります。

 

もう一回言います。

「家族仲良く」は建前です。

気の合う家族は仲良くしましょう。助け合いましょう。

 

「この人無理」と思うならその分に距離を置く。

その場合のウソやごまかしは自分の身を守るための護身道具です。

「正当防衛なんだ」と思って良いものです。

 

今年のお盆、夏休み。

「帰省したくないな」と思うなら帰省しない。日数を減らす、時間を減らす。

 

あなたの気持ちに正直な行動をとってみてください。

わざわざ調べたり、相談までするのだから、絶対に辛いはずなんです。

ならその気持ちを偽ってはいけません。

 

感情というのはネガティブも大事なのです。

全部ポジティブに未来思考は自分偽っているだけ。

もしくは恵まれた環境にいる人が、その人の立場だから言えること。

 

ちなみに。

私は親戚であろうと、家族であろうと好き嫌いで付き合いますから。

でも家族仲は良いものです。本当に仲の良い家族は「お盆だから帰るべきだ」そんなフレーズは使わないものです。

 

本当に帰省して欲しいなら、帰りたくなるような家や思い出を作らないといけないんです。

義理や風習や道徳などの理屈を持ち出して促すのは間違っています。

 

自分が怠ってきたものを理屈でなんとかさせようとする。

これはやっちゃイカンのです。

 

ご自身にウソをつかないようお気をつけください。