気持ちがそこにあるだけ

「母親との関係に悩んでいます」

そんなAさんと対面相談をしました。

 

Aさんは、ずっとお母さんから決められた枠内で行動してきたそうです。

進路も就職も「母がこの選択を許すだろうか」と考えてしまう。

希望の大学や就職先を言っても「そんなのはダメ。これかこれにしなさい」と言われてしまう。

 

お話を聞いていけば小さい頃は医師など夢があったそうです。

夢は否定され、今の仕事は「これなら母も納得するだろう」と考え選びました。

「私はなぜこの仕事をしているのだろう」と気持ちを抱きながらされているとのこと。

 

Aさんは幼い頃、試し行動をしていました。

買い物の際に、ヨソの子が駄々こねるのをみて、自分もやってみたそうです。

結果、激怒され「母親に逆らってはいけない」と思ったそうです。

 

一通り話しを聞いたあと、Aさんはこうおっしゃいました。

「私は感受性が高いんです。好奇心旺盛で傷つきやすいんです。小さい頃は好奇心に任せて行動して怒られました。感受性が低ければ母とは仲良く出来たんです。」

そんなわけありません。

私から見たら「いや、母親が寛容な気持ちになれていれば、問題にならなかった」と思えました。

 

「お母さんに『会いたくない』と言ってもいいんですよ」

私はそう言いました。

Aさんは驚いた顔をしていました。「そんなこと想像外だった」という表情です。

 

「でもそうか。言って良いんですよね」

Aさんは何かに気づいたようです。

 

理屈をこねたら自分が悪くもなるし、相手が悪くもなります。

私はAさんには啓発がふさわしいと思います。

啓発というのは、「(常識はこうだけど)あなたの本心はなに?」という問いかけです。

 

最近、Aさんからメール来ました。

「自分がどれだけ母から抑圧を受けてきたか、分かってきました。同時に自分の子どもには絶対それをしないでおこうと気持ちが固まりました」

 

この言葉が言えるのは並大抵のことではありません。

Aさんの心底には優しさや思いやりがあります。

「この人はもっと本音で生きていい」と思いました。

 

人には悪の部分も確かにあります。

教育をしなければ、悪が芽吹いて自己中心的な人間に育つのでしょうか。

 

私はそうとは全く思いません。

それぞれに譲れないものがあり、目指したいものがあります。

それを人はワガママというか、自分らしさというか。そこに理屈づけがあるだけです。

 

啓発では悪も善もありません。

「私はこう思う」という気持ちがあるだけです。

 

「自分にとって大切なものはなにか」

問い続けていけば、最後に残るのはワガママな気持ちではないはず。

それが人間という生き物だと思っています。