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 従順さは強要されるものではない

この仕事をしていると特別支援学級、学校の進路問題の相談をいただくことがあります。

もう全国的な問題といっていいでしょう。

 

「指示通り動けるか、どれだけ指示を理解したか」

「喧嘩せずに仲良くやっていけるか」

そんな生徒を優秀、能力があると評価します。

 

最悪です。

 

ワガママ放題でいいわけありません。

障害があるからといって、何でも許されるわけもありません。

 

学校とはそもそもが従順さを求め、もめ事を起こさない子を「良し」とします。

ただ通常学級と支援学級では温度差があります。

 

「支援級、学校の子には従順さが必要」という考えがあるように感じていますが、最悪です。

 

通常学級では「勉強がんばったら志望校に受かりますよ」と教えることあります。

支援級の先生は同じ感覚で「従順さを身に着けたら将来作業所に入れます」と教えているのだと思います。

 

それは違うんです。

 

別に人権とかヒューマニズム的な話じゃないんです。

先生の多くも気づいてないのかもしれません。

 

「英語の点数上がったら英文科の大学に入れます」

「指示通りに動けたら、どの作業所にも入れます」

これは別問題です。

 

学校の悲しさは「人間とはそもそもどんな生き物なのか」が定義できないことです。

 

「トラブルを起こさず、働き続けることが大事」

これは作業所や支援員さんがみんな優しくて、気持ちを汲んでくれる人ならOKです。

 

実際、そんなわけありません。

 

良い作業所もあれば、悪い作業所もあります。

良い支援員さんもいれば、悪い支援員さんもいます。

 

「作業所内で喧嘩したらクビになるよ」

実際に、そんなことを言って指導してくる先生もいます。

そんな作業所も実際にあるでしょう。

 

だから生徒に「従順であれ」というのでしょうか。

それは不味くはないですか?

 

感情がなくなるまで耐え続ける人は実際にいます。

優秀な労働者ですが、個人としては不幸です。

 

現実は厳しいものです。

ですが自分をなくしていいはずがない。

 

このブログにあるコメントが届きました。

「学校の進路指導で人間性、素直さ、意欲が大事と言われました」とコメントしてくださいました。

 

私の感覚では人間性とは本音です。

素直さとは自分にウソをつかないことです。

意欲とは生きることへの意欲です。

 

学校は正反対です。

素直さは指示通りに動く素直さでしょう。

人間性はもめ事を起こさない理性です。

意欲は働きつづける意欲です。

 

要は「文句言わずに働く存在であれ」と教えています。

 

言うまでもないですが、この考えが普通になっていることがマズイのです。

 

障害者作業所は数が足りてないと言われています。

従順でないと入れないかもしれません。

 

それでも言ってはいけないのです。

「従順であれ」というのは、本人のためのように思えてそうでない。

 

譲れない一線や、刃向かうこと。

これは野生的であり、野蛮でしょう。

 

ですが人が人であるために。

譲れない一線や抵抗は必要です。

絶対にロボットになってはいけません。

 

とある障害ある男性は「僕は幸せになってはいけないと思っていました」と私に言いました。

 

そんなことは全くありません。

 

世の中は気持ちや意志や意識で成り立っています。

「恋人が出来ました」「結婚しました」「夢が叶いました」

誰かが幸せになれば、周りが活気づきます。

人の気持ちは波紋のように、周囲に伝わっていくのです。

 

「黙って働け」とお互いがお互いの足を引っ張り合う。

そんな社会は停滞します。

 

相手の幸せを願うことが、自分を解放することになります

 

私が上書きしますね。

「あなたは幸せになってください」

私も幸せになりますから。

 

個人の幸せを思えば、喧嘩やもめ事、譲れない一線は必要です。

ある意味学校は刃向かうことも教えなくてはなりません。

 

学校とは服従しにいく場所ではありません。

世の中を知りにいくところです。

 

知った上で自分はどうするのか。今はそんな自己啓発が必要です。

 

個人の幸せを願えば正論は言えなくなります。

正論を堂々と言ってのける先生は悪い先生ではないかもしれません。

ただ危険な先生だと私は思います。

 

「先生本人に悪意はなくても生徒にとってはマイナス」

そんなことは普通にあります。ご注意ください。