療育は必要なのか

障害への療育に疲れた。生き甲斐を見つけると全てが変わります。

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障害への療育に疲れたなら、減らしても、やめてもいいと思っています。

もちろん、個人によって事情は違うと思いますが、私が支援学校で先生やっていた頃の実感です。

 

「療育は運転免許と同じなんだ」と思っています。

出来ること増えると便利です。可能性も広がるでしょう。

でも、なくてもなんとかなる。そういうものです。

 

子どもたちはこんなことを思っている

「みんなそうだ」と言っても過言でないと思っています。

障害ある子も、ないとされている子も同じで「生き甲斐を感じたい」と願っています。

 

「生き甲斐を感じたい」が何よりも上にあって、それ以外は全部下にあるイメージです。

今日が楽しくないと「明日も良い日だ」と思えなくて「生まれてきた甲斐がない」と感じるんじゃないか、と。

今日が楽しいと「明日も良いだ」と思えて「生まれてきた甲斐があった」と感じれると思います。

 

「今は我慢して療育をすべきだ」というのは、多くは障害のない人の感覚ではないでしょうか。

みんな自分を中心にして物事を考えるので、障害ある子も「自分が普通だ」という感覚を持っています。

先天性の子なら尚更です。

 

障害のない人は「ないのが普通だ」という感覚で、ある人は「あるのも普通だ」という感覚です。

日本人もアメリカ人もインド人もそれぞれに「自分たちが普通だ」と思う感覚に近いでしょう。

 

先生や大人が考える療育の重要性と、子どもたちの間では乖離があるはずです。

 

生き甲斐を感じるとこうなる

「障害への療育に疲れた」と感じられているなら発想の転換をオススメします。

先ほども言いましたが「生き甲斐を見つけることに頑張る」でも充分なんです。

 

大切なのは今の自分なんですよ。

過去の出来事は、今の自分がどんな気持ちかで意味が変わります。

今の自分が満足であれば、過去はそれまでの道筋ですし、不満であれば後悔の連続です。

「あのせいでこうなった」という想いは後付けなんです。

 

今が充実していけば、過去は「だから今があるんだ」と肯定的になります。

 

お子さんに生き甲斐がみつかって日々が楽しくなれば生まれたこと自体が「良かった」となります。

お母さんやお父さんも「良かったな」と思えます。

 

「未来への我慢より今の充実で、過去も未来も変わる」

そんな理屈です。

 

今を充実させることも子どものためになって、未来へのイメージづくりです。

自信というのは、自分の未来を信じられるかです。「出来る、出来ない」ではなく「信じる」です。

 

支援学校での経験や、著名な障害ある人も、自信のある人は自分の未来を信じていると思います。

”健常者”がみんな自信満々でもないですよね。

自信とは出来る、出来ないではなく「未来を信じられるか」だと思っています。

 

「療育につかれた、やめたい」と感じられているなら生き甲斐づくりに励まれてはどうでしょうか。

それは「手抜き」「楽しければいい」ではなく、未来へ自信を持つためです。

 

私の支援学校の先生時代の話を最後に一つします。

 

重度の身体障害をもつ男の子がいました。電動車椅子に乗っています。

彼は私に「死にたい」ともらしていました。

理由は「友達はスポーツや恋愛に夢中になっているけど、自分には何もない」というものです。

 

私は彼と一緒にボッチャという障害者スポーツのチームを作りました。

彼は「死にたい」と言わなくなりました。

 

今のままでも、未来へ自信を持つことは出来るはずです。

大事なのは生き甲斐を感じる何かを見つけることだと思っています。

 

dai

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