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療育に疲れたのなら

知り合いに車椅子に乗る女の子を育てるお母さんがいます。

お子さんは非常に元気で前向き。礼儀正しく思いやりもあります。

 

とはいえ堅物ではなく「うわ、めんどくさ!」と正直に自分の気持ちも言えます。

姉妹仲が良く、彼女は三女です。

 

長女と次女の対応が笑えてきます。

ざっくばらんで何も思いやりがない(笑)

 

「あんたアホちゃうか」

「恥ずかしいわー」

などNGワード連発。

三女が「これやって」と言っても「そんなん自分でしいや」とつっけんどんです。

 

真面目でありながら、サボる部分はサボる。

優しいけど、正直さも持っている。

 

絵に書いた理想像ですが、お母さんは昔は悩んだそうです。

お母さんと三女さんは、休まず障害に関する療育を受けていました。

 

三女さんは負けん気の強い性格なので、文句も言わず頑張っていたそうです。

ただお母さんが次第に疲れてきました。

「疲れている自分に気づいた」という感覚だったそうです。

 

ある日、くたびれている三女さんをみて「この子は訓練するために生まれてきたんじゃない」と思ったそうです。

 

お母さんは決断をしました。

ここはお母さんの決断力もありますが、一切療育へ行くのをやめたそうです。

 

彼女は肢体不自由の女の子。

脳性麻痺であり、通常減らすのはあってもやめるのは異例。

 

私は三女さんとは今でも付き合いがあります。

もう20代半ばでしょうか。

 

彼女は今でもとびっきりに元気です。

食事もお風呂も着替えも何でも自分でやっているとのこと。

 

お姉ちゃんに赤ちゃんが出来て、相手もしているそうです。

「最近楽しいことはなに?」と聞けば「赤ちゃんの相手していること」と言っていました。

 

ある自閉症の男の子は今は22歳。

障害者作業所で働いており、エース級の活躍をみせます。

 

ですが、彼はテレビの話題が大好きです。

「ミヤネヤ」などなぜかワイドショーが好きなのですが、仕事合間に口にします。

 

その言い方、表現に彼独特の世界観があり、ムードが和むそうです。

彼がエース級の働きと言われるのは、作業量だけでもありません。

彼の人柄、優しさがそこにあるんです。

 

そんな彼ですが、小学校高学年までは「問題児」でした。

多動、自傷が多く、先生の指示に従えない。

 

お母さんは彼とマンツーマンつきっきりで教えていました。

彼も一緒に頑張りますが、どうしても完璧にいきません。

 

お母さんは小学校5年生のとき「本人の人生なんだから好きにさせよう」と思ったそうです。

今まで綿密に書いていた連絡帳を、一行、二行に変えました。

お母さんの趣味だった音楽を再開し、ミニ演奏会を開くなど活動的になりました。

 

自閉症の彼はどうなったか。

お母さん曰く「気がついたら落ち着いていました(笑)」とのことです。

 

私の人生を変えた障害ある人がいます。

左手前の彼ですが、彼は今、20代前半の青年です。

脳性麻痺による身体障害があり、電動車椅子に乗っています。

 

私が彼に会ったのは、養護学校(特別支援学校)の先生として。

当時の彼は高校生でマイナス思考でした。

電動車椅子にはうつぶせのような姿勢で乗っています。

 

彼はスポーツに興味がありました。

やってみたい気持ちはあるもののなかなか見つからない。マイナス思考に拍車がかかっている状態。

 

やがてボッチャという障害者スポーツを知ります。

ただ彼の住む県ではボッチャ団体がありません。

 

当時は2010年で今よりボッチャというスポーツはもっともっとマイナースポーツ。

 

私はたまたまボッチャを知っていました。

彼の通う養護学校へたまたま赴任して、たまたま彼がボッチャしたいということを知りました。

 

「やってみたいならやるか」

そんな軽い気持ちでしたが、始めた途端彼は嬉しそうです。

 

なんだか私も本気になってきて、チームを作り、ボッチャ協会をつくり、大会を開催しました。

 

彼はプラス思考になってきました。

うつぶせで車椅子に乗っていたのが、直立に近くなり、声が大きくなり、気遣いが出来るようになっていました。

療育・支援教育では重視されないメンタル・楽しさ・遊びの部分ですが、本人とっては死活問題です。

 

正直言います。

私は重度の身体障害ある人が「スポーツをやってみたい」というのは意外な気がしたのです。

 

「動かないんだから、スポーツに興味がないんじゃないか」

失礼ながらそう思っていました。勉強や自立活動に励むことが良い事だと思っていました。

 

私が学んだのは「自分も彼も望むものは一緒なんだな」ということ。

私は熱く生きたい性質ですが、彼も同じだったんです。

 

療育、特別支援教育とのは障害のある部分、みんなと違う部分に焦点を当てます。

ですが彼らが見てほしいのは、心の部分です。

 

好きなものや興味あることがいっぱいあって世の中を知りたいんです。

大好きな人がいて、そばで笑っててほしいし、泣いて欲しくもない。

 

彼は今でもボッチャを続け、節約し、年間10万円以上使って日本各地で開かれる大会参加しています。

彼にはパラリンピックに出たいという夢があります。

仕事も遊びもそのために向かっており、生きる喜びを感じています。

 

彼は間違いなくリア充であり人生を謳歌しています。

本当に大切なのは障害ある部分ではなく、心の部分です。

 

療育に疲れたのなら、どこかで無理をしていると思われます。

私が卒業生から教えてもらったのは、人にとって大事なのは「出来る・出来ない」という客観的評価ではないということ。

 

誰にでも夢を描く才能があります。

夢は遊びや楽しく感じることから始まります。

 

療育をやめても人生は生きていけるでしょう。

おしまいになるのは夢がなくなったとき、感じなくなったときです。

 

疲れた気持ちに嘘をつかないでください。

あなたが感じるもの、好きなものあるはずです。大事なのはそれです。

大丈夫です。

「障害あるから不幸」なんていうのは大嘘です。

不肖ながら私も支援学校で先生やる前はそんな常識がありました。

でも違いました。心があればみんな幸せを感じられます。

大事なものをなくさないようにしてください。