私は先生してましたが「ルールを守って出来ること増やそうね」が学校なんですよ。

「それって良いことなんじゃ??」と思うじゃないですか。

過ぎたるは及ばざるが如し。ルールや能力の向上もやり過ぎたらマイナスになるんです。

 

ルールは行き過ぎたら我慢です。

学校のルールって理不尽なものもあるんです。従うには我慢しなくちゃいけない。

 

「我慢は美徳」っていうのは先生目線の道徳観念ですよ。

生徒が我慢してくれたら先生は楽じゃないですか。それだけの意味です。

 

ルールよりも大事なものがあるんですよ。

思いやる心です。我慢で静かにするんじゃなくて、思いやる心で静かにするんです。

あまりにも怖い先生だと先に恐怖心がきちゃうので、我慢でルールを守ります。

これがよろしくないのです。

 

脳性麻痺のお子さんの場合、先生と密着することが多いでしょう。

反抗するのも難しいかもしれません。尚更「我慢しようね」って教えるべきじゃないんです。

 

「出来ることを増やす」っていうのもやり過ぎは微妙なんです。

私は数学や機械運動が大の苦手です。あがり症で人見知りです。

苦手はなかなか改善されないから苦手です。多少マシにはなりましたが、根本は苦手なままです。

 

私は自分のペースで苦手解消に取り組めましたら、これが他者主導だったら参ってしまいます。

「やりなさい。弱点だから」と言われたら言い返せない、ごもっともです。

でも気が滅入るのもごもっともじゃないですか。

 

人生は苦手な部分からは拓かれないですよね。

長所や得意な部分から拓かれています。

「学校は自分の長所や好き、得意を発見しにいく場所なんだ」が私の持論ですが、学校は真逆の姿勢です。

 

先生が自分を基準に子どもたちを教えるからダメなんでしょう。

私の友人に車椅子に乗る脳性麻痺の人いますが「自分を普通と思っているよ」と言うものです。

学校のやっていることは理屈では正しいですが、実際子どもたちのニーズを捉えているかというと「うーん」とうなってしまいます。

 

「じゃあ能力の代わりに大事なことって何なの?」

と答えますと好きなことです。

 

お金とか能力と幸せは関係ないことなんです。

どこかの国の指導者をみてください。

大金持ちでやりたい放題ですが、内心穏やかじゃないですよ。

だってお互いに「殺してやる」って言い合っているんです。「どんな関係だよ、そりゃ?」と思ってしまいます。

 

「自分は幸せだ」と言う障害ある人をみてみてください。

彼らは自分の好きなことを見つけ、実際やっている人たちなんです。

 

学校って好きなことや、夢を叶えようとはしてくれないんです。

「これをしましょう」ってもうやること決まっているんです。子どもたちはゲンナリします。

 

逆張りじゃないですけど、学校に習って「ルールと能力の向上」に励むべきじゃないんです。

逆をやるんです。

 

頑張らなくても、いきなり人生を楽しめばいいんです。

楽しんでいるうちに、意欲が湧いてきて、つられるように能力もあがっていきます。

「好きこそものの上手なれ」ということですね。

 

というわけで、お家では「好きと思いやりを育む」を基準としてください。

好きなことをしている時間は幸せです。その姿に「いいね!」と心の中でgoodを押してください。

 

運動会とか「参加したくない!」っていうなら参加しなくてもいいんですよ。

他人を思いやる心があれば、ルールに縛られることないです。

自分で決めて決断することは、責任を自分が被ることになります。

 

運動会に本当に出ない結果を自分で味わうのも経験です。

学校は何でもポジティブを尊びますが、ネガティブも世の中には必要です。

先生だって辛くなったら休んでますしね。

 

学校は「ルールと能力の向上」が評価基準です。

家庭まで一緒になると子どもたちは参ってしまいます。未来も拓かれません。

 

家庭の基準は「好きを尊重し思いやりを育む」でぜひいてあげてください。

バランスのとれた環境でいられます。心が元気になって良いサイクルが生まれてきますよ。