毎年のように、中学生、高校生が自らの命を絶つ事件が起きています。
事件かしている不登校やいじめは氷山の一角で、隠れているものは多くあるでしょう。
学校の対応策は往々にして”小手先”のものです。
身体の暴力をなくしても言葉の暴力があります。職員研修をして変わるものではありません。
川上から間違えているのです。でも学校は川下しか対応出来ない。
川下を綺麗にしても、川上から問題が流れてくる状況です。
これ以上、自殺、不登校、いじめが起きないよう川上の話をしていきます。
先生は距離が近すぎる
学校は子どもを管理する意識が強すぎるのです。
先生は子どもの失態を自分の失態と感じる。
「教育すれば子どもは変わるんだ」と本気で思っている。
全くの勘違いです。
大人の思い通りに育たないのが子どもの本来です。
今までもそうだったし、これからもそうでいい。思い通りになっていることが不自然です。
でも思い通りにならない状態を「自分の失態」と感じる。
それが学校の川上の問題です。
子どもの不登校は自分の失態と感じます。
先生は「苦しくなったら学校休めばいいよ」と言えないのです。思い通りになっている状態を「成功」と考えるからです。
先生は指導して、学校に来させようとします。何もかもがあべこべです。
本来の仕事は子どもの人生を輝かせることです。なら「学校を休む」という選択肢もあり得ます。
学校はまだまだ変わらないでしょう。ゆえに家庭でバランスをとる必要があります。
子どもは自分を見失う構造がある
「子の問題は親の責任」という風潮が強まっています。
「正しい教育をしたら、子どもは正しくなるんだ」という勘違いが起きています。
違うんです。
正しいことでもやらないのが子どもであり、それが当たり前なんです。
子どもは自分で感じて考えています。生きている証です。
納得出来ないなら、従わないのが当たり前です。
形を整えようとすると、強制、叱咤を使うしかない。
結果、子どもは気持ちを抑圧しただけで理解出来ていない。
抑圧の問題点は自分の気持ちが分からなることです。
気持ちが分からないとは、心がなくなり身体だけで生きている状態。
生きている。だけど実感は乏しい。
正しい、だけど虚しい。そんな状態です。
抑圧の限界を超えると心の病気になるか、人生を諦める場合もあります。
それが中学生、高校生の不登校や自殺です。
子どもが自分を見失う構造があります。
親も先生も子どもを思惑でもってみています。それが原因。
大人の期待に応えるため、子どもたちは自分を抑圧するしかなくなる。
親も先生にも善意はあります。ただそれは悲しいかな「おせっかい」なんです。
子どもに干渉することを「頑張っている親」と捉える向きがあります。
要因は「早期教育がいい」などの風潮に乗せられている部分があるでしょう。
早期教育も諸刃の剣なんです。
やり方を誤ると子どもの主体性を奪い、虚無感を抱かせます。
早期教育の欠点を教える側は気づかない、または知ろうとしません。
「客に自社製品の欠点を教えるセールスマンはいない」のと同じ仕組みです。
これからの家庭の役割
ブラック企業と分かれば、転職するのが当たり前です。
学校もブラック化します。「学校合わない」と感じたら休むのが当たり前です。
親子であっても別々の人格です。
親は衣食住と困ったときは子どもを助ける存在です。
親子は別々に生きる道があって、子どもは自分で人生を切り開く”仕事”があります。
子どもの仕事を親が代わりにやると、無気力になります。
大人の意識を変えることで子どもの人生はもっと輝かすことが出来ます。
教え込むのではなく、子どもに任せることです。信頼するといってもいい。
親は親で人生を楽しむ。子どもは子どもで人生を選ぶ。
学校で何かあったら親は出張るけど、基本は任せておけばいい。
科学が進んでも人間の本質が変わるわけではありません。
人間は一人の個人であり、正しくてもやらないのが子どもです。ずっとそうでしたし、これからもそうあるべきです。
もっと素直に、当たり前に戻りましょう。
そうすることで不幸な事件に歯止めがかかります。子どもたちの未来も輝きます。
子どもたちでなく私たち大人が変わればいいんです。やりましょう。