自動車を運転していて、車に気持ちがあったら不便でしょうね。

 

「今日は気分じゃない。走りたくない」

「自分が左には曲がりたくない!行かない!」

 

と車に駄々をこねられたら、たまったものじゃありません。

自動車には感情や気持ちはいらない。ただ黙って持ち主の言う通りにすればいい。

 

子どもと自動車の違いはとは何か。それは感情です。

子どもは感情たっぷりに行動します。結果、養育者である親の期待に反した行動をとります。

言うこときかず、親に迷惑かけてばかり。

 

感情のない自動車は何でも言うことをきいてくれます。

自動車はかけたお金と時間の分、あなたの生活を助けてくれるでしょう。

 

子どもの感情を無くして自動車のようにすることは出来ます。

怒鳴って威圧して、衣食住を制限すればいい。子どもは感情を押し殺して親の言う通りにするでしょう。

 

・・・

 

「何かが違う」と感じるはず。

 

それでも子どもの感情を無視して強制する人は減りません。

 

なぜか。

「”便利”だから」「ストレスの発散」「親の務め」「先生の務め」といったものです。

 

つまり「幸せになるため」ではない。

 

子どもの心を無視すれば意のままに操ることが出来ます。

ただ、それに手を出すと失うものがあります。

失うものはあなたの心です。

 

生活のために子どもがいるのではなく。

あなたのために子どもがいるのではない。

 

自動車など機械は違います。

自動車は生活のためにあり、あなたのために自動車は作られました。

 

この違いを埋めるのが「相手の心を観ること」「感情を否定しないこと」「強制はなるべく避けること」などです。

 

道徳心や正義心で言うのではなく。

幸せを感じてもらうために言っています。

 

「人を道具のように扱わない」というのは「感情や気持ちを感じる」ということです。

相手の感情や気持ちを感じれるようになったとき、あなたとお子さんの間に信頼が生まれます。

長くずっとほしかったものが手に入りますよ。