私は特別支援学校(養護学校)で先生をやっていました。
価値観が変わる経験を沢山してきたのでまずはいくつかお話しします。
ある自閉症の高校生の男の子です。
彼は電車が大好き。休日は1人で電車博物館へ行きずっと電車を眺めています。
彼は私を見かけると電車のパンタグラフの話をよくしてきました。
パンタグラフとはこちら。
電車の屋根の上にあるやつですね。
興味ない人は名前すら知らないでしょう。
そのパンタグラフですが、彼にとっては違います。
「先生!新しいパンタグラフ見たよ!」
と毎日にように話しかけてきました。
閉じているのは”健常者”ではないか?
”自閉症”というのは自分を閉じているのでしょうか?
「他人に興味がない」
「自分の世界にこもっている」
これは”健常者のおごり”です。
なぜ私がそう思ったのか。
先ほどの電車大好きの彼を見ていて「この子は自分らしくいたいんだな」と分かったのです。
そして他の自閉症と言われる子らも同じ。
「正直で、やりたいことをやり、嫌いなものは嫌いという」
これが閉じていることなのでしょうか。
自分に嘘をつき、やりたくないことをやり、嫌いな人に愛想笑いをすることが開いていることなのか。
健常者と言われる人は自分の本音を閉ざして生きています。
世間体を気にして、愛想笑いをし、夢を忘れています。
歌謡曲で自分らしさを歌う曲は多くあります。
それほど自分らしさはなくなるものです。
「みんな自分らしさを求めているのに、自分らしく生きる人を否定するのはなぜなんだ??」
私は自閉症の彼らから、そんな気づきをもらいました。
人は心だ
電車が大好きでパンタグラフが変わっただけで大興奮できる。
絵を書くのが大好きで何時間でも描ける。
走るのが大好きで毎日のランニングが欠かせない。
何でもいいのですが、障害ある子と関わらせてもらって分かったのが「人って心なんだな」ということです。
障害あるから楽しくない人生ではなくて。
「楽しもう」と思えていれば人生は楽しめるんです。
例えば最新の遊園地でも不機嫌だったらつまらなくなります。
「楽しもう」という気持ちあれば近所の公園でも楽しいんです。
世界一のお金持ちで、豪邸に住んでいても。
毎日を楽しむ気持ちがなければ日々はつまらなくなるんです。
「条件じゃない。気持ちなんだ」
条件とか環境ではなく心の有り様。
これって当たり前のことで映画やドラマでも「お金じゃないよね。心や気持ちだよね」という話を見てきたはず。
でも私たちは普段から「宝くじ当たったら幸せになれるのに」みたいなこと考えますよね。
でも絶対幸せにならないですよ、宝くじ当たっても。
私たちが手に入れるべきは大金じゃなくて、楽しむ気持ちですから。
そんな本質を教えてくれる人って・・・周りにいますか?
その思惑は必要か?
私たちの周りには色んな”思惑”が取り囲んでいます。影響されると本音が分からなくなる副作用があります。
例えばテレビや雑誌です。欲望を刺激する言葉が並んでいますね。
「〇〇の真相」「〇〇が人気」「〇〇をすればやせる!」などです。
それが本当に自分にとって必要な情報や物事か、判断出来ていますでしょうか。
子どもたちも同様です。
大人は子どもたちに「こうなってほしい」という思惑を持っています。
しかしそれは本当に必要なのか?検討する機会がほとんどなく、みんな当然かのように思惑を子どもたちへ向けます。
子どもたちは思惑を拒否します。
期待通りの行動をしてくれません
先生や大人はそれを反抗や指導すべきものとしますが果たしてそれは必要なのか。
思惑通りにいかないのが人間だしそれが自然なのでは?
とは思わないでしょうか。
幸せになるには条件ではなく心の有り様です。
「楽しもう」という気持ちがあれば貧乏でも不得意なことがあっても人生は楽しい。
最も大切なのは心の有り様。
そんな「人生を楽しもう」という愉快さを求める心は子ども時代に充分もっています。
ただ大人になるつれ「お金があれば幸せになれるのに」と勘違いして生きています。
”健常者”と呼ばれる人は一番大切な「楽しむ気持ち」を犠牲にして手にしているものはなんでしょうか。
それは本当に必要なのか。
「思惑にのせられてるんじゃない?」
これも支援学校で教えてもらったことです。
思惑を捨てる道もある
私は先生をやりながら、思惑通りにいかない事態にぶつかってきました。
色んな方法をやってみるけどうまくいかない。
だから私は思惑を捨てたんです。
頭で考えるのをやめて心に思うことをするようになりました。
すると気づくんです。
相手も気持ちで生きていることをです。
例えば、授業時間に毎度遅れている子に対して「なんとかして守らせよう」と思惑で見てたんです。
で、何をやっても失敗。
そこで思惑捨てたら「あ、この子が求めているのはこれじゃないか?」と閃いて電車カード作ったんです。
彼は電車大好きなので。授業時間間に合えば電車カードにスタンプ押すことにしました。
すると遅刻癖が直りました。彼は卒業してますが今も大丈夫なようです。
頭で考えるのをやめて心に思うことをする
この発想で普段からいると、相手の心が分かるようになるんですね。
私は沢山の失敗をして迷惑も沢山かけてきたので逆に分かります。
思惑はいらないです。相手の心が分からなくなって、成功の邪魔する。
やっぱり人は心なんですよ。
人生楽しむのも心から始まっていて、お金や能力などの条件じゃない。
子育ても心で感じた方が大事で、頭で考えると失敗する。
子育てには二通りあります。
思惑通りに育てるか、「人は心なんだ」とありのままを認めるか。
学校や子育て本で書いてあるのは、ほとんどが思惑です。
でもそれを捨てる道も実はある。
花をもって生まれてきている
イメージすればSMAPの「世界で一つだけの花」を想像すれば話は早いです。
私が障害ある子から教えてもらったのは誰でも心に花を持っているということ。
その花は「僕はこれが好き!」と言えるもの。
電車が大好き、動物大好き、音楽や美術やスポーツが好きなどです。
心にある花を育ている時期は人生は輝いています。
でもどこかで成長が止まるんです。
それは学校や社会の思惑にさらされるからです。
「高い点数を取らないとダメ」
「みんなと同じことが出来ないのは悪い事」
「高学歴になろう、高収入になろう」
そういった思惑です。
私自身、思惑にまみれて子どもと接していた時期あるので偉そうなこと言えません。
また悟りを開いたわけでもなく、どこにでもいる人間です。
ただ「思惑を捨てた方が実はうまくいくんだ」ということだけは分かりました。
まだまだ修行中ですが、今、子育て中のお母さんやお父さんに言いたいのです。
子育てには分かれ道が実はあって。
思惑通りに育てるか、ありのままを認めるか。
思惑捨てても子どもはちゃんと育ちます。
「怒らねば」「指導せねば」「頑張らねば」だけが選択肢じゃない。
「そうか、それがあなたなのね」と認めることも出来る。
実は2択で選べるんです。