私のブログは基本的に障害ある子を育て中のお母さんが多いはずです。
なのに女性からの反感を買いそうな話題で「喧嘩売ってるのかコイツ?」と思われそうな気がしていますが。
「大丈夫だろう」と思ったのでこのままいきます。不愉快だったらごめんなさい。
テレビ番組でアフリカの一夫多妻制の話が出ていました。
ある家庭では一人の夫に奥さんが80人にいたそうです。
子どもは170人いたとか。
・・・やっぱ引いてますか?(汗
ただ「こういった話題の方が伝わりやすい」と思ったのでこの題材にしています。
1年は365日なので奥さんが80人いたら4,5日に1回会うくらいですね。
とはいえそれは計算の上で「結婚したけど全然合ってない」という奥さんもいるでしょう。
日本の常識ではあり得ないですよね。
悪いことばかりでもないんです、いやホントですって
ただ、一見ヒドい制度ですが、考え方によっては女性側にも良い点はあります。
経済的に困っている女性の存在を想像してみてください。
日本や先進国では経済的に行き詰まった女性はどのようにしてお金を稼ぐでしょうか?
一夫多妻制は不快な制度です。
ただ視点を変えれば「結婚すれば夫から安定して生活費をもらえる」わけです。
経済的に行き詰まっている女性を想像してくださいね。
80人の奥さんのいる旦那との結婚は嫌でしょう。
でも80人いれば変な旦那でも、会う回数はぐっと減ります。
そして子どもが生まれればその生活費で自分の子と過ごせます。
また一夫多妻制でも強制ではないのです。
お金に困っていなかったり、「嫌だ」と思うなら求婚を断ればいい。
実は夫ももしかしたら善意あるのかもしれません。
夫は必ず裕福なわけです。
中には「経済的に困っている女性」を助ける気持ちもありながらの結婚をしている人もいるかもしれません。
つまり80人の奥さんの中には経済的に困窮した人もいて、”制度に救われた”といえる人もいたかもしれないのです。
正しいものなんてあるのだろうか
人を傷つける行為は良くないですよね。
ただ「正当防衛」という言葉があるように他人が包丁もって家に入ってきたなら話は別です。
「泥棒はダメ」と私たちは子どもに教えます。
ただ『悪徳商人からお金を盗んで貧しい人に配る義賊』は悪い人でしょうか。
一流企業に入学するのは喜ばしいです。
ただ本当は別の仕事がしたかったのに、嫌々での就職だったらどうでしょうか。
またその会社が倒産でもしたら。果たして祝福していいものと言えるのか。
「絶対正しい」とされる科学も同様で例えば昔はマイナスイオンが流行りましたが「効果ない」という意見が今は主流です。
最近では「恐竜は毛むくじゃら」という説もありますね。
歴史では正義と言われていた人が実は悪者で、悪人扱いだった人が「実はこの人は善い人」という評価になったりもします。
現在の話ではハリウッド俳優で「大成功して収入が激増したことで家族がバラバラになった」なんていう話もありましたね。
例をあげるとキリがありません。
一見善いことや悪いことも裏表があります。
「正しい人間」や「正しい制度」といったものもほぼありません。
「正しい」なんて感覚は微妙なものです。
でも学校は正しさを教える
私は特別支援学校で先生をやっていました。
小学校や中学校の現場も知っています。
学校とは正しさを教えるところです。
多くの先生は「これが正しい」「こうあるべきだ」と言います。
ただ私からすれば「分かってない」ということなんです。※他の先生からすれば私こそ「分かってない」なんですが。
なぜなら「正しい」なんて時代や環境によって簡単に変わるものだから。
例えば正しい人間には誰もなれません。
正しいと思われていた制度も、科学だって覆ります。
絶対正しい論理はこの世に存在しません。
人間関係において「正しい」と言えるものはほぼないんですよ。
人間はモノや数字と違うんです。
「リトマス試験紙に酸をつけたら赤くなる」
「10-3=7である」
そんな風に人間は出来上がっていません。
では何が必要なのか
正しさよりも必要なのは例えば優しさです。
相手の喜ぶ顔が見たい、誰かの役に立ちたい、幸せになってほしい。
そんな優しさは必要です。
それは生きる上でも、世の中を良くするためにも、です。
ただ先生は優しさを「正しさ」で教えようとします。
努力を教えるには努力です。
怖さを教えるのは怖さです。
優しさを教えるのも優しさです。
先生は全てを正しさで教えようとします。でもそれは優しさではなく押しつけです。
英語の知識がない人に英語は教えられないですよね。
夢がない人に夢の素晴らしさは分からないですよね。
何でもそうなんです。
優しさのない人に優しさは教えられません。
でも先生は自分が優しくなるのを放棄して正しさで優しさやその他諸々を教えています。※全員がそうではないですよ
「優しくしなきゃだめ!」という指導は一見優しさを教えているように見えますが、それは何か別のモノを教えています。
とはいえ法則性がある
人間において「正しい」はほぼありません。
ただ法則性はあります。
火を触れば熱いですし、氷を触れば冷たい。
多少熱いのが平気な人や寒さに強い人はいますが、沸騰したお湯は誰でも熱いし、-30度は誰でも寒いのです。
大多数の人がそうなるのなら、そこには法則性があります。
その法則性は人間の原理に近いものから導き出されるので確実性が高いもの。
時代や環境が変わっても普遍的なものは法則性があります。
・・・ややこしいでしょうか??
要は褒められたら嬉しいし、けなされたら誰でも嫌です。
たまに「けなされることが快感!」という人もいますがそれは例外というもの。
正しさはない。でも法則性はある。
ということです。
特別支援教育における法則性は何なのか
「法則性」なので全員が全員そうではでないですよ。
ただ私は教育の現場に10年ほどいて法則性があると思っています。※だからこんなサイト立ち上げているわけです
で、どんな法則性かというと「正しいより楽しさを追求すべきだ」ということ。
学校って先生が多すぎるんです。
そして多くの先生が「正しい人になれ」といいます。
でも人間にとって必要なのは楽しさです。
『正しければ俺は満足だ。楽しさは人生に必要ない』なんて人はいません。
正しいだけで満足できる人間はいないんです。むしろその逆。
小学校や中学校での特別支援学級や特別支援学校、福祉の世界もちょっとそうですね。
障害ある子の周りは正しさを求めすぎています。
まず必要なのは楽しさです。
それは私が今まで出会ってきた子どもたちが物語っています。
小学校時代にいじめで悩んでいた男の子
不登校になった過去から企業就労までたどり着いた子
自分の意見が言えて「嫌なものは嫌だ」と言える子
これらの子どもたちが劇的に変わったきっかけや心の成長の理由は楽しさを重視したことです。
また現在、社会人になって作業所で働きながら「なんか違う」と悩んでいる女の子がいます。
彼女の悩みの理由も「今が楽しくないから」です。
彼女はマジメに日々働いています。正しいです。でも満足出来ないんです。
こんな特別支援学校卒業生は大勢います。
彼ら、彼女らの問題も楽しさです。
「どうやったら日々を楽しめるか」が大事です。
「正しければ幸せ」なら彼らはもっと楽しそうな表情をしているはずです。
ただ先生が悪いってわけでもない
ただ学校が悪いとか先生が悪いとか言っても変わりません。
私は「先生不信を煽るのは読者さんの利益にならない」と思っています。
ここは念のためにですが、仕組み的に学校は正しさを教えるところとも言えます。
「先生は勘違いしていると思いますが悪いわけではない」と思っています。
先生を責めるのは置いておいて「正しさより楽しさ」と考えてみてください。
自信がなかったり、意見が言えなかったりするのは「自分の気持ちより正しさ」を重視しているせいかもしれません。
具体的にどうするかは「先生や学校のようになってないか?」と自分自身やお子さんの日々を振り返ってみてください。
一日の言動や行動の中で「正しさ」ばかりになっていないか。
反対に「今日は楽しかった!」と思える日だったのか。
これはお子さんとお母さん、両方です。
日々の生活が正しさに偏っていたなら黄色信号です。
好きな場所へ行ってみたり、見たい映画やドラマを見たり、友達に会いにいったりもしましょう。
楽しさに向かって進んでください。
やりたいことやるって「正しさを無視する行為」です。
だから日常のちょっとした「やりたいけど我慢してたこと」をやってみてください。
そうすることで感情が動きます。
その心の動きが非常に大切なんです。
お子さんにもお母さんにもきっとプラスになります。
小さな事から初めてみてください。