学校の副作用
「もっと前向きになってほしい」
「夢や目標を抱いてほしい」
これから支援学校や支援学級に通うお子さん、もしくは通っている人にぜひお伝えしたい。
何にも遠慮することなく、今を最大に楽しんでください。
学校は間違えています。
障害ある子に「どうやって平均値に近づけさせるか」を固執しすぎています。
前向きさや夢を抱くには正反対です。
自分の特技はなにか。なりたい人やどう生きたいか。
平均値なんて関係ないんです。
自分の出来ること、なりたい夢、そんなものが見つかれば子どもは前向きになります。
これは私が9年間特別支援学校で先生をして感じた間違いのない事実。
受け身にさせてはいけないんです。
「先生に言われたことを何でもこなす良い子」
こうならなくても構わないんです。
運動会に出たくないなら出なくても大丈夫。
それで無気力になったり、逃げ腰になったりしません。
先生が出るように、みんなと同じようにを求めますが、それは違います。
自分の想いを押し殺してまで運動会は出るものではありません。
運動会や学校そのものも、前向きに参加しないと意味ないんです。
我慢強さを鍛える場所ではありません。
生きるのに必要なのは「自分はどう生きるのか」という想いです。
決して優しさや親切心のようなもので言っているのではないんです。
学校では夢は大事にされません。
これは学校の根本的な欠陥です。
なぜ肢体不自由の子には夢が必要だというのか。
それは先生がずっとそばにいるからです。
沢山の子どもたちに出会いましたが彼らは優しい。良い子です。
ただ一つ夢を抱いていない場合が多い。
学業、就職、人間関係。
本当に大事なのは上意下達を守る従順さではなく、「こんな風に生きてみたい!」という夢です。
以下、夢を抱くに大切なポイントをあげます。
それは選ぶことです。
選ぶことから夢が始まります。
学校というのは「やらされる」ことが多いところです。
「やる」が大事なんです。
勉強をさせられているではなく、勉強している。
運動をさせられているのではなく、運動している。
難しく言えば主体性がとにかく大事ということ。
これは環境の整備によって育てられる部分です。しかし学校では尊重されない。
そして先生がそばにいて指示を出しすぎる。
これでは心に夢は抱かないんです。
子どもは夢一杯に語ります。でも大人の考え方を受け入れたら夢は描けない。
車椅子の子どもたちが大人しく、いわゆる受け身なのは車椅子に乗っているからじゃない。
大人の考えを早くから受け取ってしまうから。
彼らももっと目を輝かせて「自分はこうやって生きるんだ!」と夢を語ることは出来ます。
何がそれを阻んでいるのか。
障害のある部分では絶対にありません。
環境なんです。
大人のほとんどが見逃してしまう要因。
大人っぽさが良いなんてことはありません。
子どもには子どもの良さがあり、大人には大人の良さがある。
ただ先生でそれを理解している人は少ない。
だから私はこうやって保護者さんに直接訴えています。
子ども時代に子どものまま過ごさせてください。
「本人の選択が大事」
多少、非合理的な選択であっても、本人が選んだことを尊重してみてください。
「失敗は成功の元」といいますよね。
本当にこれはあって、主体的に生きていれば何でも学びに変えてしまうのが子どものスゴさです。
「自分で選んだ選択で失敗した」
こんな失敗は学びになります。
例えば、運動会の徒競走で「出たくない」と言ったとします。
本人の意志そのままに出なかったとしても、学びにはなっているんです。
自分で選んだ選択の結果、どうなったか。
周りの人は?自分の気持ちは?
そうやって感じたことは人生の糧に必ずなります。
ある車椅子の青年は「小学校時代のかけっこが憂鬱だった」と言っていました。
みんなが駆け足のなか、自分はゴール前からのスタート。
拍手や歓声はありましたが「なんか違う」と思っていたそうです。
先生は褒めてくれていました。
でも嬉しくなかった。「また来年もやるのか」と思ったそうです。
「あれは先生の満足だけだったと思う」とも。
彼は小学校最後の年は、担任に恵まれ「かけっこ出たくない」と訴えたそうです。
みんなが走るなか、テント下で眺めていました。
初めて嫌じゃない運動会を過ごせたといっていました。
この選択がいいんです。
自分で選んだこと、その結果を受けとめる。
ここに生きる実感が生まれます。夢への第一歩です。