私は特別支援学校で先生をやっていました。

 

その関係で知人から「ウチの子は小学校と特別支援学校、どっちがいいと思う?」と相談を受けたことがあります。

「どっちに行かせたいと思っているの?」と私が質問すると「小学校」と返事がきました。

 

「なんで小学校なの?」と質問すると「出来る子が多い環境にいると成長出来るんじゃないか、と思って」と答えてくれました。

私は「その子のやりたいことが、行く学校にあるかの方が大事だと思うよ」と答えました。

 

今回、私がそう思う根拠になった話をします。

 

 出来ることが多いけど叩いてしまう

高校生の知的障害ある女の子がいました。

彼女は小学校4,5年生くらいの学力があって、電車やバスに乗って移動出来ます。

カレーなどのインスタント食品や卵を焼く程度ですが簡単な調理も出来ます。洗濯や掃除も出来ます。

所属するクラスの中では学力も生活力もある方です。

 

ただ彼女には友達に暴力や悪口を言ってしまうことが多々ありました。

先生がいくらお説教をしてそれは変わりません。次第にクラスや同学年の子から避けられるようになっていきました。

彼女はますます荒れて尚更誰かを叩きに行きます。

教室にいる時間は短くなって、教室を飛び出し、自分を受け入れてくれる先生の元へベッタリくっつくようになりました。

 

こうなってくると問題は1クラスに留まりません。

年度末になっての会議で「所属するクラスを変えた方がいいのでは?」という話になりました。

 

「出来る子の中」に入れば変わるのか

先生らの会議での話です。

「彼女は自閉症の傾向がある。もしくは本当にそうではないか」そんな意見が先生らの中から出てきました。

根拠は「彼女は相手の気持ちや周りの状況が分かっていない」という姿から。

 

他に「彼女はいわばクラスの”女王様”になっている。勉強や運動は出来る方で弱い子を叩きにいっている。彼女が”女王様”にならないようもっと勉強や運動の出来るクラスにした方がいい」そんな意見も出てきました。

 

後述していきますが、これらは全て誤解です。

ただ会議の決定は「このままだと来年も同じことの繰り返しだろう」という考えから、来年度、彼女はより勉強や運動が出来る子が多いクラスへ移動となりました。

 

完全に居場所がなくなってしまう

次の年度、彼女は自分よりも勉強や運動が出来る子の多いクラスへ行きました。

彼女はどうなったのか。今まで以上に荒れるようになりました。

自分より勉強は出来るけど、反抗しない大人しい子に対し悪口を言い続けていました。急に泣き出したり情緒不安定にもなっています。

 

逆効果だったことが分かり、彼女は元のクラスに戻ることになりました。

ある年度で私は彼女の担任になりました。

 

最初は大人しかったのですが、次第に悪口が暴力が見られてきます。

支援学校は沢山の先生がクラスに入ります。周りの先生は彼女に対して「行動を改めるように」「なぜあなたは間違っているのか」という意味でお説教をしていました。

理屈的には間違ってないのですが、どうにもこのお説教や「正しくありなさい」が空振りのように見えました。

 

私は「この子は居場所が欲しいんだ」と思いました。

彼女の家は両親が共働きです。それは問題ないですが、両親の仲が悪くて日々喧嘩や冷戦状態が続いているそうです。

 

彼女の家に家庭訪問へ行って気づいたのですが、彼女は家では非常に大人しいんです。学校でみせる空気がなく「シュン」としています。

「先生が家に来て照れくさい」そんな可能性もあります。

ただ家での彼女からは学校での大声を張り上げたり、”やりたい放題”の姿が想像出来ません。

 

彼女は学校で暴れるときは先生の顔を見ながら叩きにいく時があります。

自分のことを受け止めてくれる先生に対しては”つきまとう”かのようにくっついています。

 

私は「彼女は家に居場所がない。だから学校にいる先生や誰かに居場所を求めているんだ」と感じました。

 

居場所を作るには

「家にも学校にも自分の居場所がない」

そう感じているであろう彼女に対して、私は毎日手紙を書くことにしました。

 

彼女は普段から好きな先生や友達に手紙を書いています。

また「今日はこんなこと頑張りました」と自分で報告しています。つまり「私を見てほしい」が彼女が学校に求めていることだ、と考えました。

 

そこで「今日はこんなことを頑張っていたね」と短文の手紙を書いて放課後に彼女の机の中に入れておきました。

 

次第に彼女に行動の変化が見られてきました。

たまに暴走はしますが、自分より弱い子を叩くことはほぼなくなり、反対にかわいがる・・・というのも変な表現なのですが、頭を「よしよし」と撫でたりしています。

ちょっと違う気もしますが、叩くよりはいいでしょう。

 

欲しくないモノを売ってはならない

学校では時折、子どもの求めるものと先生が提供するものにギャップが生じます。

子どもは「自分らしさ」を求めています。夢中になれるモノや友達などです。

先生は「枠」を教えます。世の中の常識や正しさなどです。

 

かみ合ってないんです。そして、これが当然かのように存在しています。

 

私は先生やってて「先生は売れないモノを必死で売っている営業マンのようなものだな」と感じていました。

 

例えばあなたの家に「冷蔵庫買ってください」と営業マンが来たとします。

当然断りますよね。冷蔵庫は1台あれば充分です。

それでも営業マンが必死の形相で「絶対買った方いいです!」「みんな持っていますから!」と半ば強引に信じさせて、あなたは買ったとします。

でも予想通り新しく買った冷蔵庫は無用の長物でした。

 

あなたはどんな気持ちになりますか。むなしい気分になりませんか。

 

彼女の気持ちもきっと同じものです。

 

彼女は居場所を求めていました。その彼女に対して「正しさはこうだ」「みんなそうしてるから」と先生に言われても「いや、そんなのどうでもいい」なんです。

それでも先生は必死に「こうすべきだ」と訴えてきます。彼女は従います。

 

でも先生の言うとおりにやっても、求めているものはやっぱりないんです。

「私は何のためにこれをしているの??」という気持ちではないでしょうか。

心が満たされない。だから荒れるんです。

 

障害ある子の学校選びのポイント

就学相談で「小学校へ行くべきか、特別支援学校がいいのか」は多くの保護者の方が悩まれます。

他の子の成功事例や友人、先生の話などを聞いて「一体どれが正しいんだ」と悩まれるはずです。

 

ハッキリいってどれも参考にはならないはずです。答えは実際に学校へ通う本人が持っているからです。

 

「あの子は成功したから」「みんながそうしているから」「誰かがそういったから」など他者目線で学校を選んではいけないんです。

あくまでも「この子の望むものがその学校にあるのか?」で考えることです。

 

夢や居場所など望むものが見つからないと、自信を無くしたり、荒れる、不登校などになっていきます。

 

学校で望むものが見つかれば心に余裕が生まれます。その余裕の分だけ常識やマナーといった「枠」を受け入れることが出来ます。

世の中にある「枠」とはそうやって学ぶものです。

歯を食いしばって死に物狂いで学ぶものではありません。「枠」はそれぞれが出来る範囲で学んでいけばいいものです。

 

お子さんの進路先は「この子が望むものがそこにあるのか」で考えてください。

心を満たすことが、余裕を生み、学びを促し、人生に良い実りをもたらします。