私は障害者スポーツのボッチャというスポーツの県役員をしています。
今日はその関係である市のスポーツイベントでボッチャの講習会をしてきました。
この講習会は毎年やっているもの。もう5,6年は続いているでしょうか。
私はこのボッチャというスポーツは重度の身体障害ある人にとってかけがえのないスポーツだと思っています。
身体に重い障害ある人ほど参加出来る活動は限られています。ボッチャはそんな人のために作られたスポーツです。
「このスポーツの存在を知ってほしい」そんな考えで、毎年市のイベントで講習会をやっています。
講習会に来ている時点でボッチャは必要ない
今年のイベントも幼稚園から小学校高学年くらいまでの子どもたちが来ていました。
親子参加者も多く「親vs子ども」の対決で「大人に勝つんだ!」と気合い充分の子がいたり、兄弟対決で何度やってもお兄ちゃんに負けてしまい泣いてしまう弟君がいたり。
このイベント限らず、私は数え切れないほど講習会やってきました。
その経験から「本当に困っている人は講習会には来ないな」と感じています。
重度身体障害などボッチャを切望する人は講習会に参加することすらままなりません。
実際に各地で行われる講習会に参加する人のほとんどは障害的には軽度の方です。
皮肉なことにいくら講習会開いても、その場に来れるくらいの人はボッチャを必要としないのです。
本当に必要とする人にはこちらから訪ねるしかありません。その場合は無報酬です。
それくらいの損をする覚悟がないと本当に必要とする人にボッチャは届けられないのが現状です。
企業も公的な機関も救えない
企業はお金を媒体として成り立っています。よってお金がなくて困っている人は民間企業のサービスにより生活を向上させるのは困難です。公的な機関が支援することになります。
ただ公的な機関も目立つ人、声の大きな人から助けていきます。
私は学校で先生をやっていましたが先生は「真面目にやっている普通の子」のために学校を運営しています。
私は何度も「普通に頑張っている子のために不良の生徒は罰するべきだ」という先生の台詞を聞いたか分かりません。
「不良の生徒の方がこのままだと困ったことになるのだから助けるべきだ」
そんなのは一般社会では常識だと思うのですが、学校ではこれは非常識になっています。
ただ本気困っている子、助けを必要とする人を助けようとすると損をする覚悟が必要です。
私は過去に離婚する家庭を担任したことがあります。
お父さんは離婚して新しい女性と一緒になることを考えています。
お母さんは「出来れば一人で自由になりたい」と子どもに関心がありません。
私はお父さんやお母さんの底にあるそんな想いを感じたとき足がすくむ思いでした。
「大損する覚悟でないとこの家は対応できない」そう感じたからです。
だから私も「偉そうなことは言えないな」と思っています。
学校など公的機関に「本当に困っている人を助けるべきだ」と言うのは簡単ですが、実際それをやるのはかなりの覚悟が必要です。
”想い”を基準とする繋がりを作る
私は今、オンラインサロンという媒体で障害ある子を育てているお母さんの新しい繋がりを作っています。
私はボッチャ協会の役員ですが、これをやっている理由は「夢を叶えたいから」です。
この繋がりも同じです。「自分の夢ってなんだろう?」「目標が持てる気力がほしい」そんな人の原動力となる繋がりを作ります。
興味ある方はこのブログでは無料問い合わせフォームがありますので利用してください。
この無料問い合わせも出来るかぎり続けていくつもりです。想いを一番上に置くつながりを築きたいというのが私の夢です。