特別支援学校には障害の重い子も軽度の子も通います。
今回は障害が軽度の子の話です。注意欠陥多動性障害と診断された高校生の男の子です。
授業に出ない生徒は社会人が務まらないのか
彼は中学生は地域にある中学校へ通っていました。家庭環境が良いとは言えず、深夜に街中をうろつくのは日常茶飯事。
暴力、恐喝、万引き、喫煙など何でもありの少年です。
彼は高校1年生から特別支援学校へ入学してきました。最初から「俺、学校行かないし」と担任に宣言し、最初は本当に登校してきません。
ただ給食がある、話の合う友人が見つかったなどの理由が出来ると登校するようになってきました。
とはいえ授業には出ないんです。
「面白くない」と感じることには参加せず、ソフトボールやバスケといった興味のある授業にしか出ません。
彼は自分に興味があることしかしません。
先生は「我慢が出来ないと仕事が出来ない」「授業中に座ることも出来ない人間に社会人が勤まるのか」と指導します。
さてこの言葉は本当でしょうか。
店長の言うことを聞く理由は?
「給食食べる」「友達と遊んで帰る」この目的のためだけに学校に通う彼は卒業後どうなったのか。
知人に職場を紹介されて毎日通って社会人を続けています。もう3,4年続いています。
近々結婚もするそうです。所帯を持てばさらに彼は安定するでしょう。
「先生の言うことを聞かない。ただ卒業したら真面目で働いている」
先生はこの姿を「更生したんだ」と「私たちの指導が分かったんだ」と解釈します。
それは違うんじゃないか、と私は思うのです。
彼らはやる理由があればやるんです。
学校と仕事とはモチベーションが違うんです。
授業、特に小学校高学年くらいからは「なぜこの勉強をやるのか?」の理由が見えません。
低学年くらいまで「面白い」「知りたい」がやる理由になります。低学年くらいまでの勉強は生活に身近な内容なので「知りたい」という意欲が湧きやすいのです。
ただ小学校高学年・・・特に中学生にもなると「やる理由がない」のです。
注意欠陥多動性障害と診断され授業を全く受けない彼が仕事を続けられるのは、給料があるから。また彼は家族仲がよく「家の経済状態を良くしたい」という動機がありました。
やる理由があれば彼はやるんです。
もう一つ例を挙げましょう。
私は中学校にいた時期もありました。中学3年生で喫煙、授業不参加、禁止の自転車で登校、暴力、破壊行為などあらゆる校則違反をする生徒がいました。
彼はお金が欲しかったのでラーメン屋で高校生と偽ってアルバイトをしていました。このバイトが続きます。学校にバレたので辞めさせられましたが、バレなければずっと続いたでしょう。
この生徒も注意欠陥多動性障害(ADHD)と診断されていた子です。学校の先生の言うことは全く聞きません。でも店長の言うことは聞く。これも先ほどの彼と同様「給料がもらえる」という理由があるからです。
学校の先生の言うことを聞くことと社会人になって仕事が続くこととはイコールではありません。
「やる理由」があれば仕事は続きます。
「自分の人生を良くするように」
「やる理由」になるには「楽しい」「嬉しい」「もう一回やってみたい」などの前向きさを感じるものです。
「夢」「友人」「家族」などです。
「正しいからやろう」「みんながやるからやろう」ではなく、「やる理由」今回で言えば「その子らしい働く理由」を見つけることをオススメします。
私も同じ経験があるんです。私は社会人になって2ヶ月あまり引きこもり状態になったことがあります。
「もう一回働こう」と思ったのは友人との飲み会です。「もう1回こいつらと飲みたいな」という私なりの理由が見つかったから再挑戦の気持ちが湧いたんです。
2ヶ月間引きこもっていた時期も「働かないとダメだ」「みんな働いている」そういうことは分かっていました。
「正しい」「みんながしている」という一般論ではなく私なりの理由が必要だったんです。
意欲、やる気、モチベーション、夢。そんな心の中をみてください。
私が特別支援学校や塾や中学校にいて感じたことです。
「正しいことが出来ない」「だから僕はダメなんじゃないか」そんな風に思い込んでしまう子を見てきました。
そう思うのなら、もうそれは正しくない、目指すべきものではない。
「正しい生き方」ではなく「自分の人生を良くしよう」そう考えて欲しいのです。
「そんなことをしたら逆に自分が不幸になるんじゃないか?」そう思われるかもしれません。
でも先生の言うことを聞かない”不良”と呼ばれる彼らは今や立派な社会人です。
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