子どもに一番必要なのは愛情です。言うまでもないことですね。
愛情は代々に伝わっていくものです。
ただ親が子どもを愛せず、その子が親になった場合。
『どうすればいいんだろう』と戸惑い、良くないことが起こりえます。
そんな連鎖を断ち切るために、学校が愛情を伝えるのが本来の役割。
ただ学校で受けられる愛情には条件がついています。
制服や髪型や授業態度など。
定められた条件を満たした子には先生から愛が渡されます。
条件の満たせなかった子には叱咤か罰です。
今の学校で無条件の愛を受け取ることは仕組み的に難しい。
先生の個人プレーに期待するしかないのが現状です。
つまり愛情は家庭で供給するしかないんです。
地域の繋がりが薄いと尚更です。子どもの心は困窮する可能性が高い。
そして困ったことに。
「学校で無条件の愛は与えられない。愛する役割は家庭にある」
この事実を踏まえながら指導していく先生は少ないです。
ゆえに「家庭の学校化」を先生は気づかずやってしまいます。
その代表的な言葉が「お家でも取り組んでください」の言葉です。
「お家でも取り組んでください」
響きとしては愛情のある言葉に聞こえるでしょう。
でも視点を変えれば「家庭も学校のようになってください」を意味しています。
「指導しなければ」の意欲が強い先生ほどこの言葉を言います。
その先生のクラスでは「条件を満たすように」と強く迫られているのです。
この言葉を真に受けたら、子どもの心が困窮していくのは目に見えています。
そもそもが学校現場がここまで疲弊しているのはなぜでしょうか。
それは先生たちが「我々が正解だ」という立場を崩せないからです。
相手は自分の鏡です。
やったことは必ず跳ね返ってきます。
生徒に条件を突きつけると、生徒も先生に条件を突き返します。。
「そんなに言うならお前はどうなんだ?」という心理です。
もちろん先生も条件を満たせません。ゆえに反感を買います。
反感を先生は理屈と正義で覆い隠します。
「先生vs生徒」という戦いの構図が出来上がっています。
戦っているから苦しいんです。
相手に条件を突きつけると関係は戦いになる。
恋人でも家族でも友人でも同じ。条件には苦しみが生まれます。
家庭では無条件の愛を供給してください。
「分かっているけど愛し方が分からない・・」
と心配な方は引き続き当サイトを利用していただければと思います。