ゲームそのものが悪いのではなく

「ゲーム障害」という病名が出ています。

スマホを始め、ゲームにのめり込む人が多く依存症にまでなっているという症状。

 

これはゲームが悪いのではなく、自分を見失っていることが問題です。

スマホやゲームがない時代は他の物事へ依存していました。

「手軽で便利に依存出来るもの」としてスマホゲームがあるだけ、という話です。

 

スマホゲームに制限をかけたらいい、という類いの問題ではありません。

自分をもっと大事にしないといけないのが病巣です。

 

知人に残酷なゲームを好む者がいます。

子どもにもやらせているし、NGワード連発です。

私と知人混ざれば「アホ」「死んだらエエねん」と子どもに悪影響な言葉がバンバンに飛び交います。

 

全く問題ありません。

私も知人も自分はどんな気持ちでいるか分かっています。

お互いに何が大事で何が不要かを知っています。

 

その前提でいれば、ゲームも悪口も使いこなすことが出来ます。

 

ある女性の先生はとかく制限をかけていました。

「こうしましょうね」「それはダメよ」と優しく諭します。

残酷な描写のものは大嫌いな方です。「そんなものはとんでもない」と怒ってきます。

 

ある日、私はプライベートで非常に落ちこむことがありました。

その女性は、ステレオ的な励ましを私にしてきましたが、申し訳ないですが逆効果。

「あなたに俺の気持ちは分からないです!」と思ってしまった。

 

世の中にはマスト思考(こうしなければならない)が横行しています。

その姿勢でいると、自分を見失っていきます。

 

ある少年はいじめから自分を見失っていきました

彼は依存するものもなく、虚無な目をしていました。

指示命令をこなすだけで「へーい」と覇気がない。

 

彼を変えたのは理解してくれる大人の存在です。

まずは遊びから始めて「自分はこれがしたい!」という気持ちを回復させたのです。

 

誰も依存なんかしたくないんです。

依存している相手に「こうしなければならない」とマスト思考を上乗せしているのが現代の深い深い闇の部分。

 

夏休み明けの不登校、命を絶ってしまうニュースがありますが、彼らも被害者です。

引きこもりやうつも自分にウソをつくことから始まります。

昨今の毒親問題も、毒親になりたくないのに繰り返してしまいます。

 

不登校になりたい子はいません。命を絶ちたい人もいません。

みんな優しくありたいし、夢を抱きたい。

「生まれ持ったセンスを活かして世の中に貢献したい」これが人間の生きる目標です。

 

ゲーム障害始め、人はなぜこうなってしまうのか。

賢すぎるし、”洗脳”しようとする者がいるからです。

 

方法はマスト思考を使って行われます。

「こうしなければいけない」「こうすればうまくいく」

全部ウソです。

人の言う通りにやってうまくいくはずがない。

 

お箸の持ち方や信号の渡り方と人生は違います。

正解が何百通りもあるのが人生です。

人との関係で「こうやったら相手は必ずこう思う」そんな魔法は存在しない。

 

鍵は最初から持っています。

生まれ持ったセンスが人生を拓かせます。

 

マスト思考にお気をつけください。

依存している相手に「こうしなければならない」はナンセンスです。

そんなこと相手はとうに知っています。

 

「どうしたいの?」という正解のない問いかけが、依存からの脱却です。

自分と向き合うチャンスは絶望にこそあります。

ゲーム障害そのものでなく、自分の喪失が大問題。

方法はあります。

 

他人からの正解を捨てることです。

そうやって自分のセンスを戻していきましょう。