あるものはなにか。
最近、「ヤスさん、熱いですね」と言われるようになってきました。
原因はボッチャカフェバーのオープンが原因だと思います。
7月7日に障害者スポーツのボッチャとカフェバーをまさかの融合。
滋賀県は守山市でガチでカフェバーやります。
「過ぎ去ってからでないと気づけないものだなぁ」とカフェバーの準備していて思いました。
どんな物事でも最中では、今の自分が気づけません。
「終わってから気づくもの」
その仕組みは分かっているものの、やっぱり気づけない。
カフェバーの準備していて、自分が先生してて一番楽しかった時期の気持ちが蘇ってきました。
「そうそう、これこれ」と懐かしの味を噛みしめるように、「やったるでー!」と気持ちがふつふつと湧いてきます。
あの頃は周りから「熱いですね」と言われたものでした。
私はなぜこんなことやっているのか。
「一番楽しかった時期に戻りたいからだ」と今にして分かりました。
振り返れば、夢中だった時期は「この時間がずっと続けば良いのに」と思っていました。
無意識下で、こうなるように選んでいたのかもしれません。
「全てが親の言う通りの人生でした。私には何もないんです」
そうおっしゃる相談者の方々がいます。一人ではなく、複数おられます。
「今まで誰かのいいなりになってきた」
「青春を味わえなかったと思います」
「自分の人生なんてなかった」
相談者のみなさんは表現は違えど同じ想いでいらっしゃいます。
古いですが「YAH YAH YAH」という曲をご存知でしょうか。
歌詞中に「信じる言葉はないかい 僅かな力が沈まぬ限り 涙はいつも振り切れる」
とあります。幼いとき聞いた曲ですが、私はこの歌が好きです。
「失ったものを数えるな。今あるものを最大限に生かせ」
この言葉を私は信じています。
私に残っているものは沢山あります。
身体が動いてますし、人脈もあるし、手助けしてくれる仲間たちもいます。
やりたいことは沢山あります。最近、増えてきて困るくらい。
そう思うと「今の自分も捨てたもんじゃない」と思えてきます。
今あるものを数えると「これからはひと味違う人生が待っている」
そう思えてきます。
参考になれば幸いです。。