若干釣りみたいなタイトルすみません。
でも嘘ではないのです。
受け身で優しい子にはなれないんですよ。
ワガママは主体性で、主体性がない優しさは満足感がないものです。我慢に近いですね。
私自身もそうでしたが、中学生くらいまで「俺の優しさニセモノじゃない??」と迷っていたものでした。
「俺、偽善者だな」と思っていたものです。受け身でやってたり、なんとなくでやってたからです。
お恥ずかしながら、当時いじめに近いものがクラス内でありましたが、大した問題意識を持たずに過ごしていました。
そんな私も高校、大学と「俺はこうする」と主体性が出てきまして。
「あ、偽善者じゃないかも」と思えたものです。
自分から優しくしないと優しさの喜びはないですよね。
「優しくしなさい!」と怒鳴られてやるならそれは服従であり、仕事であり、作業です。
優しさとはもっとキラキラしたものです。
光るのは心からやる優しさです。子どもの優しさがピッカピカなのは心からやるからです
大人の優しさが胡散臭いのは、世間体や義務や打算でやるからです(笑)
喜びも違うんですよ。
我慢させてばかりだと優しさに喜びはないんです。
主体的に生きてこそ、優しさは喜びになります。
ワガママと優しさは両立します。
究極なのは「あなたの笑顔が見たいからやっているだけだ!」と思えることですね。
そこまでいけば神のレベルですが。
100のワガママを言っても120優しいことやっていれば世の中渡っていけます。
自分から優しくする子になってほしいですよね。
自主性を尊重することはいいことなんですよ。