映画「世界から猫が消えたなら」を観ました。

「静かな映画だったな」というのが感想の一つです。淡々と話が進んで行きます。

 

登場人物に名前がない

この映画の登場人物には名前がついていません。

主人公は「僕」ということで個人名が出てきません。他の登場人物も同様で「彼女」「母」「父」となっています。

作者は「自分に置き換えてみてもらうように」という意図から名前をつけなかったそうです。

主人公は「僕」です。

郵便配達員をしており、猫を飼っています。ある日、僕は脳腫瘍で余命が残り少ないことを医者に告げられます。

 

病院から帰ると自宅に悪魔がいました。

悪魔は「寿命を一日延ばすのと引き換えに、この世から何かを消していく」という条件を出します。

そして僕の周りにあるものが一日に一つ消えていくのです。

 

モノが繋いでくれている

映画では電話や映画やそして猫が消える対象になります。

 

私はこの映画のタイトル「世界から猫が消えたなら」を初めて見たとき「まぁ困りはしないけど」と思いました。

 

ただ観ていて親戚の家で飼われている猫を思い出しました。

そして親戚から「子猫が生まれたよー」などの話題がLINEで来ることを思い出しました。

私自身も猫に思い出があることに気づきました。

 

映画では「親友」が出てきます。

親友は映画好きが高じてレンタルビデオ店で働いています。

 

僕と親友の繋がりが映画です。

お互いに古い映画を観るのが好きで、親友は毎日映画を僕に貸してくれます。

 

私にも映画を介しての思い出があります。

 

車でもパソコンでも服でも何でもそうです。思い出がないというモノの方が珍しいかもしれません。

それぞれにモノを介しての思い出があります。

 

 便利、不便ではない

繰り返しですが、話の中で悪魔は電話や映画を消していきます。

最初はモノが消えることを「不便か不便でないか」で考えました。

そうやって考えると「まぁなんとかなるか」と思えてきます。

 

ただ実際に電話や映画がなくなった状態になると、主人公の僕は人との関わりや思い出がなくなることを嘆いています。

この映画を観るとモノの存在価値が大きいことに気づきます。

 

また僕は脳腫瘍で余命がありません。僕もこの世界から消えるのです。

 

「世界から猫が消えたなら」は人やモノがいなくなることにより存在価値を再認識出来る映画です。

観る際は登場人物を自分に置き換えて観てみてください。私は小さい頃の思い出が蘇ってきました。

 

全体的に刺激の少ない静かな内容です。一部「観客の気を引こうとしてるのかな?」と思えるシーンがありました。

ただ作品全体の言いたいことは共感出来るものがあります。私は気に入りました。