映画から学ぶ自分らしさ

映画「今を生きる」から。学校で気をつけるべきたった1つのこと。

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映画「今を生きる」をご存知でしょうか。1990年公開と古い映画です。

この映画を観たのは2回目。

初めて見たのは大学生くらいだったと思います。10年ぶり以上だったわけですが、当時とまた違った感想を持ちました。

 

私は学校で先生をやっていましたが、学校の本質を見事に捉えています。

学校とは正しさや正義を教える場所なんです。

 

反対に子どもたちは正義よりも愛情を求めています。

そのギャップに子どもたちは苦しむわけですが、親が正義を振りかざすと悲劇が起こります。

 

学校は「伝統、名誉、規律、美徳」を重んじる

物語は1959年のアメリカです。バーモント州にある全寮制の学校ウェルトン・アカデミーに就任した先生と生徒たちの物語です。

 

映画冒頭は入学式から始まります。

新入生が学校の理念を掲げた学校旗を掲げて入場してきます↓

TRADITION(伝統)です。

他にもHONOR(名誉)DISCIPLINE(規律)EXCELLENCE(美徳)と書かれた旗をもって入場です。

 

入学式では校長先生の言葉があります。

校長は「伝統、名誉、規律、美徳」この四つがウェルトン・アカデミーの柱であること、有名大学進学率が高いこの学校は「アメリカ合衆国で最も優秀な学校だ」という話をします。

 

まさに正義の塊です。

個人の意志よりも正しくあることが学校では何よりも大事なのです。

 

生徒は自らこのウェルトン・アカデミーを「ヘルトン(地獄学院)」と呼びます。

 

先生は生徒が騒いでいる姿に「静かにしろ。育ち盛りの悪者どもめ」と怒鳴ります。

他の先生も「宿題を怠る者は期末の成績から減点する」と進学や卒業を権威にして、威圧してきます。

 

このウェルトン・アカデミーでは「革新、自由、感性、信念」といった個人の感性や思想は否定されます。

先生は子どもらに正しくあることしか求めてないのです。

 

そんな中、各個人の中にある感性を引きだそうとする教師が就任します。

主人公のキーティング先生(ロビン・ウィリアムズ)です。

 

今を生きろ

キーティングは国語の先生です。授業は型破りで、生徒の好奇心を刺激します。

最初の授業は「卒業生の写真を観ること」でした。

 

キーティングは生徒を卒業生の写真やトロフィーが飾られている場所へ連れて行きます。

そこで一つの詩を紹介します。

「バラは摘めるときに摘め。時間は飛ぶように去る」

この詩の意味を「青春を謳歌せよ」とキーティングは訳します。

「美しい花は摘めるときに摘まないと後悔する。君たちも同じだ。今を楽しめ」そう語ります。

 

卒業生の写真を見せたのは「終わりが来ること」を生徒に意識してほしかったからです。

 

「写真に写る彼らは君たちとそっくりだろう?だが彼らは今、老人か、もうこの世にいない」

「我々は死ぬ運命なのだ。だから今を生きろ。自分の人生を素晴らしいものにするんだ」

 

キーティングは規律や名誉を語りません。個人の在り方を語ります。

ある授業では机の上に立つよう指示しました。

これは「物事には違う視点があることを忘れるな」ということを伝えるためです。

「くだらないと思うことでも、違う視点に立って見てみるんだ。気づかなかった価値に気づけるかもしれない」

そう教えます。

 

詩を分析して客観的評価をする教科書を「そんなものは破り捨てろ」と指示します。

 

そして生徒らに詩とは何か、なぜ人は詩を読み、創るのかを説きます。

 

「詩は何のためにあるのか。君らが単位をとるために詩はあるのか?」

「違う。確かに法律や医学を学ぶのは生きるのに必要なことだ」

 

「ただ周りに溶け込むこと、刺激的な欲求、そんなものに人生があるのか?」

 

「我々が詩を読み、創るのは人間には情熱があるからだ」

「情熱やロマンスや愛こそが、我々が生きる理由ではないのか」

「自分の中にあるロマンや恋や愛を発見したとき、詩が書けるんだ。それを見つけるんだ」

 

そんなキーティングの影響を受けて生徒たちも変わっていきます。

 

自己より規律を先に置くトッド

キーティングにより劇的に変わったのは転校生のトッド・アンダーソンです。

トッドは自分が出せません。規律や道徳そして失敗を気にして行動出来ないでいます。

 

授業で詩を自作し発表する宿題が出ました。

トッドは自室で詩を書きます。

それなりに書いていたのですが、授業では「僕は詩を作りませんでした」と言います。

 

詩とは自分の感性です。彼が詩を書けないのは、自分自身に価値を感じていないからでした。

 

トッドには優秀な兄がいます。有名人の兄に対しトッドは劣等感を抱いているようです。

親の関心もトッドには対しては薄いものでした。

優秀過ぎる兄と無関心な両親。この二つが原因でトッドは自分に価値を見いだせないでいます。

 

キーティングはトッドを前に立たせ、大きな声を出させました。

トッドから出るのはか細い声です。

次にキーティングは教室に飾られている偉人の写真を指さします。そして「君はあの男に何を思うか」と問います。

 

トッドは答えますが、まだ周りを気にしています。

キーティングは目を閉じさせます。クラスメイトの冷やかしの声は「聞かなくていい」と諭します。

目を閉じたトッドに対しキーティングは1対1で問いかけ続けます。

 

次第にトッドの口から写真の男に対し、気味の悪いグロテスクな表現が出てきます。

ですがそれこそがトッドだけの世界観です。独創性のある表現に他のクラスメイトから驚嘆の声が上がります。

 

トッドに笑みが浮かびます。

キーティングは「その感覚を忘れるな」とアドバイスしました。

 

自分の感性に気づいたトッド

トッドはこの授業をきっかけに感性を取り戻します。

 

トッドには親友のニールがいます。

ある日ニールは二階の渡り廊下で落ち込んでいるトッドを発見します。

ニールは理由を聞きますが「今日は誕生日なんだ」との返事でした。

 

誕生日なのにトッドはなぜ落ち込んでいるのか。

その理由は両親からの誕生日プレゼントにありました。

 

誕生日プレゼントはデスクセットだったのですが、それは去年もらったのと全く同じものだったのです。

トッドは「今年も同じ誕生日プレゼントだった」「親は何も考えてない」「最初にもらったときも気に入らなかったんだ」と自分の感情を話します。

 

その言葉にニールは去年と同じ誕生日プレゼントを”別の角度”から見るように話していきます。

「僕がデスクセットを買うならこれと同じのを買うな」

「野球のバットやバスケットボールもらっても嬉しくないだろ」

 

ニールの気持ちにトッドに笑顔が戻ってきます。

 

ニールは閃いたように「このデスクセットよく飛ぶ形をしてるな」と言い出します。

「トッド、これは世界初の空飛ぶデスクセットだ」と暗に諭します。

ニールの暗喩にトッドは笑いながらデスクセットを2階から投げ飛ばしました。

 

規律や美徳など正義や正しさを第一にしていたトッドが親からもらった誕生日プレゼントを投げ飛ばしました。

 

理由は「僕は気に入ってないから」です。

 

トッドが求めているのは自分を見てほしいという愛情です。

正義は時として個人の感性を封じます。「嫌なモノは嫌」と言えなくなるのです。

 

ニールを悲劇に追い込んだのは?

この映画の主人公はキーティング先生ですが、生徒側の主人公はニールです↓

ニールもキーティングの影響を受けて、自分の感性を意識するようになった一人です。

やがて彼は「自分のやりたいことが見つかった」と演劇の世界に興味を持ちます。

 

ニールは演劇のオーディションに応募し合格します。ただニールの父親は猛反対をします。

ニールの父親は感性よりも地位や名声を求めるタイプです。世間体を気にします。

ニールが自分に口答えするのも、恥のように思えるのです。そして「みんなの前で私に口答えするなよ」といいます。

 

父親はニールに医者になることを求めています。ニールの演劇への情熱を完全に否定します。

母親はニールに同情的ですが父親の方針には逆らえないようです。

 

この父親の態度がニールに悲劇を招きます。原因はニールの感性を封じ込めたからです。

ただ父親は「なぜこうなったか」が理解出来ません。感性をなくした人間は感性の良さも忘れます。

 

世間体や地位や名誉も正義の一つです。みんなが良い、正しいと思うものですから。

 

ただ感性とは自分の人生そのものです。

正義を理由に、感性を奪うのは相手の人生を奪うのと同意義です。

 

ニールが求めているのも正義ではなく自分自身を見てほしいという愛情です。

 

「死せる詩人の会」の本当の意味

この映画タイトル「いまを生きる」は邦題です。アメリカでのタイトルは「死せる詩人の会」と言います。

「いまを生きろ」という言葉は映画中に何度も出てきます。対して「死せる詩人の会」は不気味な印象すらも受けます。

 

「死せる詩人の会」とは何なのか。

 

キーティングはトッドやニールが通うウェルトン・アカデミーの卒業生でもありました。

死せる詩人の会とはキーティングが学生だったころに作った学生たちが詩を朗読しあう会です。

 

ただこのメンバーは非公認で、夜な夜な学校外れの洞穴に集まって詩を朗読しあう会でした。

詩は古典の詩を読むこともあれば、自作の詩を読むこともあります。

 

キーティングは当時の死せる詩人の会を「ロマンチストの集まりだった。流れる蜜のように詩を朗読しあった」と評します。

 

ただなぜ会の集まりに「死せる」がついているのか。

私は「死せる詩人」とは高校生の自分たちを指しているのだ、と思います。

 

大人の世界では、個人の感性よりも組織の倫理を求められます。

感性でつくる詩などは”無意味なもの”です。

キーティングは大人になるつれて、自分たちが詩人でなくなっていくことを予感していたのではないでしょうか。

 

だから自分たちへの戒めであり、皮肉的にも学校非公認で集まる詩の朗読会を「死せる詩人の会」と名付けたように思います。

 

今、学校へ通う子と子育て中の方へ

私は以前は学校の先生をしていました。私はこのキーティング先生の姿に「なんて勇気のある先生だろう」と思いました。

学校とは個人の感性よりも組織の論理を守ることを意識づけられる正義の場所です。

 

その場所でありながら、個人の感性を訴えるのは、会社の命令に背く社員のようなもの。

私は先生をしていましたが「ここまで自分は貫けなかった」と思いました。

 

例えばニールは演劇の情熱を父親に反対され、どうすればいいかをキーティングに相談しにいきました。

キーティングは「自分の想いをそのまま父親にぶつければいい」と言いました。

 

私は先生をやっていて同じような場面に出くわしたことがあります。私もキーティングと同じことを言いました。

ただ言ったあとに「問題が起きれば俺に責任来るかもな」と不安になりました。

 

先生にとって個人の感性は自分の仕事を増やすものです。

 

感性を忘れて正義に従ってくれたら問題は起きません。

早く仕事が終わって、家に帰ってゆっくり出来ます。学校の評判も上がって名声も上がるでしょう。

 

ただ家でも正義を求めるのは非常に危険です。

トッドやニールのような悲劇を招くことになります。

 

正義は学校で十分に教えてもらえます。

 

子どもたちが求めているのは正義ではなく愛です。

それを忘れないでください。

 

dai

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