2008年に発表された福山雅治さんの「明日の☆SHOW」という曲があります。
福山さん自ら出演の缶コーヒーのCMにもなってました。聞いたことある人もいるでしょう。
私は歌は歌詞を重視するのですが、その中でもこれは傑作中の傑作です。
顔もキャラも歌もスゴい福山雅治とは一体何者なのか。うらやましいを通り越しています。
私は中先生をしていましたが「気づかずにハマっている落とし穴」があります。
それは「学校で気をつけるべきはみんなと同じことができているかではない」ということです。
その反対の自分らしさをどれだけ守れるかが鍵です。
この「明日の☆SHOW」という歌は大人になると自分らしく生きられないもどかしさを歌う曲です。
小学校の高学年あたりから、みんなこれで悩み続けます。ただそれに気づいてない人は多いはずです。
みんなが気づかない理由は自分らしさをなくす方が先生から褒められるからだ、と思っています。
「そうなの?自分は違うけど?」
と思う方もいるでしょう。
本記事で歌詞解説をしています。読んでいって、あなたがどう感じるか。
ぜひご一読ください。
昔はみんな出来ていた
グレーの部分が歌詞です。歌詞→解説という順番で進んでいきます。
だって心はもう分かっている 自分らしくってこと 素直に生きること
ただそれだけでいいはずなのにそれが一番難しいって何て無情
「自分らしく素直に生きること」誰でも子どもの頃はそれが出来ていました。
子どもってなんであれだけ楽しそうなのでしょうか?それは自分の気持ちに素直に生きているからでしょう。
大人になると自分の気持ちに素直になることが出来なくなります。
そうなる理由の多くは他人の目が気になるからです。
「自分の気持ちに素直になればいい」
分かっていても、それが出来なくなるのです。
子どもの頃は自分らしく生きていたのに、大人になればなるほど難しくなる。
答えは分かっているのに、それが出来ないのです。無情ですね。
故郷(ふるさと)の友よ答えは出たかい 「幸せ」と呼べる涙流せる場所はあるかい
もう帰ろう
「幸せの青い鳥は家の中にいた」に近い話ですが、多くの人は答えは他人や外部にあると思いこみます。
他人からの評価や収入や名声や地位がほしくなったりです。
ただそれはみんながいいと思うもので、自分だけの価値観はありません。
お金や名声などは誰でも魅力を感じるものです。
「それこそが幸せだ」と思うですが、手にしてみると歌詞のように「幸せ」と呼べる涙流せるモノではありません。
「もう帰ろう」とあるのは自分自身に言っているのではないでしょうか。
小さい頃憧れていたもの、楽しかったこと、そんな他人ではない自分自身の価値観によるものが「幸せ」と呼べる場所です。
例えるなら、歌手を目指せば収入や名声を求めて歌うこともあるかもしれません。
でもそれは虚しいものです。
「歌うがことが好き」
歌手になろうとする人の原点はここでしょう。
お金のために歌うのではなく、歌が好きだから歌う。それが「幸せ」と呼べる場所です。
憧れ描いた夢とはちょっと違うけど、この場所で戦うよ。
~省略~
僕のヒーローはどんなに辛く苦しいときでも自分にウソはつかなかったんだよ。
あの日燃え尽きることできなかったけど「このリングでヒーローになる・・」
胸の奥で握りしめた拳よ 明日の☆SHOW
大人になるつれ妥協を覚えます。
「これは仕方のないことなんだ」「みんながしているから自分もやっておこう」といったものです。
そんな妥協を繰り返すうちに抱いていた最初の理想は忘れていきます。
漫画のヒーローは勝ち続けますが、現実は妥協の繰り返しです。
ただ妥協してもいいのです。その妥協を正しいと思うのならば、です。
ヒーローがヒーローたる所以はなんでしょうか。強さなのか、結果なのか。ステータスなのか。
福山さんが思うヒーローとは自分に正直でいることなのでしょう。
勝者がヒーローなのではなく、自分にウソをつかなかった人がヒーローなのです。
妥協を繰り返してきての今がある。それでも正しいと思う事を貫いていきたい。
昔憧れていたヒーローのように。そんな決意を読み取れます。
愛すべき日々よ 懐かしき学び舎よ
生きるということはなぜに分からぬこと増えていくのか
学生時代を振り返っての言葉ですね。
普通に考えれば、生きていけば知識が増えていきます。つまり分かることも多くなるはずです。
なのに「生きるということはなぜに分からぬことが増えていくのか」とは一体何なのでしょうか?
生きるほど分からなくなることは二つあるでしょう。
一つは物事には色んな見方があるということです。多面性ですね。
嫌いな人、苦手な人の良い一面が見えるようになったり、失敗が成功に繋がっていたり、物事の深みを知ったり。
私は昔は「他人と同じようにしないと」「褒められるのはいいことだ」といった価値観がありました。
でもそれは自分を縛るものであることに気づきました。今は反対に自分らしく生きることの大切さを実感しています。
そして「自分らしく生きる」を追求すると、そこには深い世界が広がっています。
知れば知るほど分からないことだらけです。
それが理由の一つ目。
もう一つあります。
それは生きるほどに自分の気持ちは分からなくなる、ということです。
生きていくと立場や責任などが増えていきます。
そうなると「上司としての自分」「親としての自分」など色んな自分が作られていきます。
すると本来の自分に戻れなくなっていきます。
大人になると中学や高校の友人に会うと非常に心地良い気持ちになりませんか?
私は「そうだ。俺、昔はこんなんだった」と自分自身を振り返ります。
立場になると本来の自分を忘れる実例をあげましょう。
私は先生になると「君の制服は校則違反だ」「そんな髪型はダメ」といった目線で生徒を見ている自分に気づきました。
先生になる前は「髪型と人柄関係ない」と思っていました。正反対の自分になっています。
立場になると、その立場の価値観で話すようになります。自分の考えよりも周りの人の意見を正しいと思うのです。
会社や組織に入って働く場合は大なり小なり、こうなります。やがて自分の気持ちが分からなくなっていきます。
私は子どもころから色々悩んでいましたが、大人になっても同じくらい悩んでいます。分からないことだらけです。
実際に聴いてみよう
昔はみんな自分らしく生きていた。でも経験を積むと自分らしさがなくなっていく。みんなに評価されるために行動していく。
妥協を繰り返しての今の場所だけど、ここが自分の居場所。自分にウソをつかずに生きていきたい。
私は「明日の☆SHOW」はそんな歌だと思っています。
「通しで聴いてみたいんじゃないかな」と思ったのでYouTubeにある動画を紹介します。
歌詞付きの動画です。
[youtube id=Vi9mn0qVhCU]
自分らしさを守る、という発想
私が学校で先生をやっていました。
障害のある子が通う特別支援学校が長かったのですが、中学校や学習塾などもあります。
先生の立場になると、子どもたちがみんなと同じ行動、規則通りに行動してくれると助かります。
世の中的にもそうですね。日本の治安の良さや規律ある姿は学校教育の賜物です。
ただ「みんなと同じ」には副作用があって個人の感性や充足度を削るものです。
先生や世間は子どもたちが自分らしさよりも周りの意見や価値観に沿ってくれたら助かるのです。
ただ本人の夢や気持ちはないがしろにされていきます。
「学歴があった方がいい」
「みんなと同じようになるべき」
「出来ることが増えれば幸せなんだ」
そんなことはないんです。
学歴があっても、みんなと同じようになっても、出来ることが増えても、悩みは続きます。
自分の好きなことが出来ている、嫌なことは嫌と言える、そんな自分と向き合えている人の方が幸せです。
ただ世の中的には逆の方向に力が働いていると思います。
学校なんかはそうです。
学校は「皆と同じ」を求めますが実は逆です。自分らしさを保つ方が個人にとっては幸せです。
一度大人になったなら、今度は子どもに戻ってみるのもいいんです。「もう帰ろう」ということですね。
福山雅治さんの「明日の☆SHOW」私は発表された2008年からずっとヘビーローテーションの曲です。
「想 -new love new world」というシングルのカップリング曲になっています。
Amazonで中古CDとして取り寄せ、まだダウンロード購入も出来ます。
ぜひ一度聴いてみてください。前向きになるのと学びがある名曲です。