いや、決してふざけているわけではないのです。
今回、『北斗の拳のラオウ』を題材に障害ある子の教育を語るという意欲作です。※問題作かもしれない
『私、北斗の拳もラオウも知らないんだけど?』
と言われると『いや、すみません』としか言えないのですが。
ラオウってこんな人
「北斗の拳」も「ラオウ」も知らない方のために話しますと。
北斗の拳とは30年以上前の少年漫画。ラオウはその悪役です。
30代の男性なら大体知っているはず北斗の拳。
ラオウは上の画像の右側で鎌持っている人ですね。なんで持ってるか分かんないですが。
ちなみに左側にいるのが主人公のケンシロウです。
ラオウには夢というか野望があります。
『世紀末覇者になりたい!』というもの。
『世紀末覇者ってなによ?』といわれると要は世界征服のようなものです。
ラオウは世界征服がしたいわけですよ。
世紀末覇者=世界征服です。
世紀末覇者になるためラオウは突き進みます。
強者には敬意を払うのがラオウですが気に入らない部下はあっさり殺しちゃうなど暴君です。
結局、世紀末覇者への野望は果たせず、最後は主人公のケンシロウによって倒されます。
敗れたラオウは息絶えるのですが最後の台詞がコレです。
『我が生涯に一片の悔いなし!!』
これがカッコいい。人生とはコレです。
・・・女性には『コイツなに言ってるの?』と引かれてるような気がして若干不安ですが。
激マッチョな上半身裸画像が男くささ全開ですが、男女関係ない話ですよ。
明日世界が終わるなら
ラオウは結局は世紀末覇者にはなれないのです。
それでも自分の人生に『一片の悔いなし!!』と断言します。表情も穏やか。
『生涯に一片の悔いなし!』と言えるのも今を精一杯生きたから、やりたいことをやりきったからです。
もしラオウが『あぁ、俺の人生後悔だらけだよ・・』と落ち込むならどんなときでしょうか。
それは『やりたいことをやりきった』の逆ですね。
言いたいこと言わずに、やりたいことやらずに、周りの目を気にしてばかりならこの台詞は出ないでしょう。
よくある話ですが「明日世界が終わるなら何をする?」をやりきったのがラオウです。
終わりを意識すると、大事なことや今すべきことが分かってきます。
後悔しない生き方っていうのはそういうものです。
ラオウは世紀末覇者を目指すのが後悔しない生き方。
「大好きな人と一緒にいたい」「好きな人に告白する」なども一緒です。
とはいえ『明日もきっと生きているしなぁ』と思いますよね。
ただ後悔したくないなら。
なるべく自分の気持ちに正直に生きるべきです。
障害ある子の環境は逆
私は以前は特別支援学校の先生やっていたので実感しています。
障害ある子の教育は『周りに合わせなさい』『障害を克服しなさい』といったものが強烈に強い。
『明日世界が終わったら何をする?』とは逆の生き方。ラオウとは逆です。
ただその生き方がつまらないことは先生自身が証明しています。
なぜなら先生らの会話は『早く休みにならないかな』『休日何しよう?』という会話で溢れかえっているからです。
私は先生やっていて先生同士のそんな会話を何度聞いたことか。
『学校はブラック企業だ』と言う声が強まっていますが、見方を変えれば先生という仕事がつまらなくなっているんです。
先生の仕事んは色んな規制がかかり『しなければならない』『であるべきだ』に囲まれるようになりました。
『誰かの言うとおりにしてばかりはつまらない』というのは先生自身が分かっていることです。
ここはかなり個人的な意見ですが『自分がつまらないと感じている人生を子どもらに勧めてどうする?』と思うところ。
よーく考えてください。
「自分がつまらないと思っていることを相手に勧める」
こんなの日常でありえますか??
例えば「この本面白くないよ」といって相手に勧めたら失礼ですよね。
人に勧めたり教えたりするのなら、そこには何かしらの喜びや意味がないといけないはず。
ただ「つまらなくてもそれを言うことが先生の仕事だ」という側面もあります。
先生らの考え方が変わることはありません。
だから私は先生を辞めたわけなんですが。
生きがいのある人生とは
別に先生バッシングをしたいわけではないんですよ。
私は卒業生を何人も知っていますが、彼らがみな一様に充実した人生を送っていないわけではありません。
ただ障害ある子の状況を認識してください。それは絶対に損にはなりませんから。
その状況とはですが、先生に限らず他人は『正しさ』を求めます。
正しい生き方、正しい生活、正しい人生といったものです。
身近な例でいえば昨今の芸能人や有名人の炎上騒動やバッシングにみられるものですね。
『こうあるべきだ』を他人に押しつけるわけです。
正しい生き方をすれば、褒められます。
ただそれはつまらないもの。正しいだけでは人は生きていけないんですよ。
不登校になったり、自信がなく他人に流されたり、卒業生で今がつまらなさそうだったりするのは正しい生き方をしすぎているゆえに起こるものです。
ここには非常にやっかいな仕組みがあるのですが、障害ある子は出来ないことや苦手なことがあって誰かの支援がいります。
支援者(先生など大人)の考え方次第で人生が左右されてしまう部分が大きいのです。
例えば知人に車椅子にのる20代の青年がいますが、彼は優等生でした。
先生に反抗することもなく褒められて過ごしてきました。
ただ今、彼と話していると『もっと他のことが勉強したかった』『今が楽しくない』と言います。
ではこの子が「将来のために」と学校で励んできたことは何だったのか。
彼は正しい事をしたのかもしれません。
でも「正しさの代償がこれですか?」と思うのです。
障害ある子の周りにいる支援者の考え方がかなり重要。
ですが小学校から高校までの支援者である先生や卒業後の福祉関係者は正しさを求めます。
「先生を疑うな」とか言っているわけじゃないんです。悪い先生ばかりでは決してないですから。
ただ「任せっきり」はよろしくありません。
任せっきりにすると正しい人生にはなりますが、つまらない人生になる可能性があります。
今を充実させること
『じゃあどうずればいいの?』
といわれるとコレになります↓
『我が生涯に一片の悔いなし!!』
・・・とラオウはさすがに極端すぎますが、概ねこれで間違っていません。
充実した今を積み重ねることです。
それをしていればいつ死んでも後悔はありません。
後悔するのは常識や「みんながしているから」などの理由で頑張ること。
それは正しいと評価されますが、日々の充足感が失われます。
「明日世界が終わるなら何をする?」と考えて、そのことが全然出来ていないなら危険信号です。
充実した今を積み重ねること
「明日世界が終わるなら何をする?」
をお子さんに当てはめて考えてみてください。
もし心配になったら「小さい夢」を叶えることからです。
「すべきこと」より「やってみたいこと」です。
観たい映画を観てみたり、遊びをしたり。そんな小さいことから始めてみてください。
私は先生辞めたので言いたい放題ですが、学校は「この人生がいい」と思って子どもらに勧めているわけではないんですよ。
先生らは「正しい生き方」を子どもらに勧めてきます。
でもそんなの本来ないですし『正しい生き方』をしているはずの先生がうつや精神疾患で倒れています。
先生自身も『こんな生き方はキツい』と分かっているのに勧めてくるんです。お知りおきを。