私は障害の比較的重度な子が集まる特別支援学校(養護学校)にいたことがあります。
ある知的障害と身体障害を合わせ持つ男の子の担任になってときの話です。彼は最初のうちは全然学校に来ない子でした。
彼の両親は離婚されており、父親とは別居。
家族構成は小学校に通う弟がいて、お母さんと彼と弟の3人で暮らしています。
お母さんはシングルマザーとして彼を育てていました。
先ほども言いましたが、担任になって最初の数ヶ月、彼はほとんど学校に来ませんでした。
家に電話をかけても繋がりません。連絡物を届けに自宅へうかがっても留守です。
一言挨拶を書いて郵便受けに封筒を入れて帰る、それを繰り返すのが最初の数ヶ月でした。
「このお母さんはいい加減」
そんな声も聞かれました。私も最初は「そうなのかも」と思っていました。
ただ内情知るにつれて誤解だったことが分かってきます。
外からは見えない
1学期終わりごろになって、彼はぽつぽつと学校へ来るようになります。
その頃のお母さんとは連絡帳を通じてのやり取りしかしておらず「なぜ学校に来れないのか」の実情は分かっていません。
お母さんは1学期の運動会に参加せず、授業参観にも来ませんでした。
それ以前に個別指導計画の話も、家庭訪問も出来ていません。
彼が一度、学校に来てすぐの検温で高熱があることが分かって、お母さんに迎えに来てもらったことがあります。
電話繋がって「迎えにきてもらえますか」と言うと「分かりました」と返事。
お母さんはすぐに学校に着いて、教室へ入るなりその子に向かって「帰って来んでええのにー」とつぶやいてその子を抱っこ。
車に乗って帰っていきました。
「もう帰って来んでええのにー」の言葉に「え?このお母さん大丈夫?」と感じました。
後々分かることですが、このお母さんは基本はさっぱりした性格で自分を飾ることをしません。
「帰って来んでええのに」も実情あってのことですが、知らないと「おいおい、大丈夫か」と感じてしまいます。
ただ幸いなことに私はこのお母さんの内情を深く知ることが出来ました。
とあるベテランの先生の手助けがあって、お母さんとじっくり話しあう機会がもてたのです。
その先生はお母さんの家に電話して「今から話そう」とお母さんを誘ったんです。
そして私にも「今すぐに〇〇へ来るように」と電話してきました。行けばそこはそのベテラン先生の行きつけの店。
中にはその先生とお母さんがいます。
「なに?どうなってるの?」と多少混乱はしましたが、お母さんと落ち着いて話すことが出来ました。
普通にやっていればずっと平行線だったでしょう。
そのベテランの先生のおかげで私とお母さんは意気投合出来ました。
電話で何度も話せるようになり、出来ていなかった懇談も出来ました。最終的にはお互いタメ口で話すくらいに。
医療ミスは親のせい?
お母さんと仲良くなるにつれて内情が深く分かってきました。
・小学校に通う弟にも問題が起きている。今はそのことで手一杯。支援学校に通う兄の方はおろそかになっている。
・連絡が取りづらいのはお母さんの父親の会社が倒産して父親が夜逃げした。昼間から借金取りが家まで押し寄せてくる。
・子どもの身体障害について昔、手術をしたら余計に症状が悪化したことがあった。医療ミスがあったのだが病院は認めない。裁判になって未だ決着がつかない。
仲良くなるに連れてそんな内情が分かってきました。担任していた彼は学校に来れないのはそれら事情が複雑に絡み合っていたから。
最近、来れるようになったのは解決の方向が見えてきたから、とのことでした。
ある日、お母さんと電話で話していたときのことです。
最初は普通に事務的内容と世間話だったのですが、やがて電話口に涙ぐんでいました。
医療ミスの裁判は長く続き終わらないそうです。
「この裁判に意味はあるんだろうかと思うことがある」「やるべきことが出来てない。子どもに申し訳ない」
そして「手術に賛同しなければ良かった。こんな結果になったのは私のせい」とこぼしていました。
「そんなことあるわけない」と私は思いました。
お母さんは医師の奨めに従って手術を決断しました。そこに悪意も過失もありません。
それでも「自分がせいだ」と思ってしまう。精神的に疲れているな、と感じました。
お母さんは支援学校に通う兄に対し「何一つ出来てない」と言っています。
確かに懇談にも、運動会にも、授業参観にも出席せず、休ませることもある。
見た目はそうなんです。出来ていないことは多い。
でも内情を知れば違います。
小学校に通う弟のトラブル、父親の倒産、裁判の決着がつかない。これをお母さんは一人で対応しています。
それが重ねれば、どこかにほころびが出る方が「普通」です。
ですが周りにとっての「普通」は参観や行事に参加する姿。
そのギャップに苦しんでいるお母さんの気持ちが感じ取れました。
外には伝わらない
年度終わりにお母さんから「来年度も担任になってくれないか」と依頼されました。
私は「分かった。取り合ってみる」と答えました。
本来は「来年の人事は分からない」と答えるのが常ですが、この場合は「それがいい」と思えたのです。
私は年度末の学年会でお母さんの要望を話しました。
ただ次年度の人事発表の会議で私は違う子の担任になっていました。
その会議で他の先生から異議がありました。
「田中先生(私のことです)の担任は変えない方がいい」という異議です。
異議を唱えたのは私とお母さんが仲良くなるきっかけを作ってくれたベテランの先生。
加えてもう一人の先生も「この家は他の家とは事情が違うから」と賛同してくれました。
会議は延長になり翌日に渡り話し合いは続きました。ですが「あ、この人事は覆らない」と感じてきました。
訴えても他の先生が言う「大変なのはどの家も一緒です」という論理には勝てないな、と感じてきたのです。
そもそもが異議を唱えた3人は実際にお母さんと会って話して、内情を肌で感じたことのある3人です
「肌で感じたことのあるこの3人にしか分からないんだろう」と思いました。
結局人事はそのまま、覆らずでした。
私はその決定のあと、誰もいない教室へ行って泣き崩れていました。
大げさな、と思うかもしれませんが、「この家はちょっと違う」と感じるに足る事情がそこにはあったんです。
でも周りには「なんで泣くの?」と思えることでしょう。それはどうにも埋まらないギャップのようです。
周囲に理解されない悩みを持つ方へ
「授業参観に出たくない」「運動会やPTA行事に参加できない」
そんな事情を抱えている人があります。ただ外からは「あの家は適当だ」と評価されます。
ただ「無理」「行きたくない」と感じるからにはそれ相応の事情がそこにはある、私はそう思うようになりました。
誰でもその家とおなじ事情になったら「授業参観は無理」「行事行きたくない」となるでしょう。
「内情を分かってくれない」という悩みは深いことも分かりました。簡単に話せる内容でないですし、誰にでも言えることでもない。
ゆえに実情と周りの評価にギャップが出来ます。
ただ自分で言うのもおこがましいですが、私のような人間もいます。
出来るだけ立場を分かってくれる人を探してください。
一人でいると「自分は間違っているのだろうか」という気分になってくるはずです。誰か肯定してくれる人が必要です。
私が今回のお母さんに感じたのもそこでした。
「肯定してくれる、話を聞いてくれる人がこの人には必要だ」と思いました。
私がこのブログ書いたり、オンラインサロンというネット上で繋がる仕組みを作っているのもそのためです。
「分かってくれる人同士で繋がりを作るしかない」そう感じています。