この世に良い子はいません。悪い子もいません。
なぜなら良い子にはそれなりの理由があるし、悪い子にもそれなりの理由があるからです。
「なんでこんな悪いことばかりするんだろう??」
「怒っても褒めても変わってくれない」
そんなお悩みを抱く場合は、原点に間違いがあるのかもしれません。
子育ての原則は正義よりも愛情なんです。
正義とは秩序です。ルールやマナーや望ましい生活習慣です。
愛情とは感情です。嬉しいや楽しい、自分は愛されているなどです。
これは昔から言い尽くされているはずですが忘れがちになります。
特に学校は、です。
学校は先に秩序があります。
秩序を守れたら愛情が与えられます。それはみなさん学生のころにも経験あるのでしょう。
私は特別支援学校で先生をやっていました。
失敗も沢山してきましたが大原則である「正義より愛情が先」に立ち返ると問題は解決していきました。
正直に言いますと悪態をつかれたりすると「いい加減な気持ちでやっているのでは?」「ワガママになっているのでは??」
と感じたこともあります。
でもそれって私の勘違いだったんです。
秩序が先で愛情が後になっていたんです。
本来の原則である「正義より愛」に立ち戻るんですよ。
愛情をまず渡して、そのあとに秩序を教えたら必ず良くなります。
方法はあるので安心してください。
具体的な話を挙げていきます。みなさんの生活場面で応用してみてください。
先生以上に全体を見ている知的障害ある女の子
ある知的障害ある女の子の話です。彼女は高校生で言葉が上手く話せません。
「はい、いいえ」は言葉で伝えられますが、意志の9割は身振り手振りで伝えてきます。
今まではマカトンサインや簡単な手話、コミュニケーションカードなど色んな意志を伝えるための手段をやってきたそうです。
ただ定着はせず、ずっと本人なりの身振り手振りで意志を伝えていました。
私は彼女の担任を3年間もっていて、その移り変わりを見てきています。
「良い子→悪くなる→良い子にもどる」という流れです。
1年目の彼女は先生や友達が困っていると分かったら自発的に助けてくれて、非常に良い子でした。
物静かにしているんですが、クラス全体をよくみています。
例えば給食の際は別の部屋へ移動するのですが、みんなで移動しているとその子だけ教室へ戻っていくのです。
その理由はいつも誰かの忘れ物を取りに行く用事です。彼女は先生や友達のもっているもの、足りないものを把握しているんです。
ある意味先生以上の注意深さで全体をみています。
『先生がもう一人いるみたいだな』と私は思っていました。
彼女の懇談でお母さんに「娘さんにはいつもお世話になってまして・・」と本気で感謝を述べたほどです。
2年目まさかの大逆転
「彼女は良い子なんだ」
私はそう思っていました。また特別支援学校は1クラスに複数の担任がいますが、他の先生も同様に感じていたようです。
ところが彼女は2年目で大逆転を起こします。
2年目の中盤あたりから、彼女は反抗的な態度を取るようになっていきました。
「気まぐれかな?」と最初は思っていましたが、行為は段々エスカレートしていき、先生に対してモノを投げてくることも。
お手伝いなどはもちろんしなくなり、友達を叩くこともありました。
1年目とは真逆の彼女になっていったんです。
こういう事態になると「なんでそんなことするの!」という気持ちになるのが大体です。
「2年目で環境に慣れてつけあがっているんじゃないか」
「今まではウソの姿でこれが本当の彼女だったんじゃないか」
「モノを投げる」「反抗的になる」など外見上の行動だけみると心理が働いてくるはずです。
私自身も子どもたちと接していてそう感じるときはありました。
「あれ?もしかして俺はなめられてるのかな??」
「優しくされて、この子はつけあがっているんじゃないか」
一瞬そんな思考がよぎります。
ただそれはこちらの勘違いなんです。
生徒が悪い事するじゃないですか。
それに対して「なんでこんなことするんだろう??」と思って対処していきます。
やがて正解にたどり着きます。
結果思うのは「あ、最初の不快感は自分の仕事の邪魔されて悪いように感じてるだけだったんだ」という反省なんです。
正直言いましてこれを先生やってて、何回も繰り返しています。
「自然の摂理」と言いうか、ついやってしまうものです。※言い訳みたいですが
先生の仕事として子どもが良い子であればあるほど楽ですから。悪い事や問題が起こればその対応をしなければなりません。
悪いことされて怒りの感情が湧くのは大抵は「自分の仕事が増えるから」といった自分都合の事情が多いモノでした。
・・・というか全部自分都合でしたね。
悪い事するからには外見からは窺えない、それ相応の事情があるものです。
では彼女の事情は何だったのかというと2年目になって、彼女は先生から放ったらかしになっていたのです。
1年目と2年目の違い
「先生から放ったらかし」と言いましたが主犯は私です。
彼女には1年目、私はコミュニケーションカードを作っていました。そのカードが2年目になくなったのが原因のようでした。
1年目に私は、彼女の好きなアイドルやアニメ番組のキャラクター、お菓子ややりたい遊びなどを写真やイラストを使って1枚のカードにしていました。
彼女の好きなものだけを集めた専用コミュニケーションカードです。
内容も彼女の要望に応じて作り替えて何回も新しいのを作っていました。
ただ定着はしないんです。そもそもカードというのはそれを常に携帯しなくてはならないので不便な要素もあります。
彼女はカードをもらったときは嬉しそうにして、時折「アイドルのテレビをみた」など伝えてはきますが実生活で使い続けるまではいかないようでした。
数ヶ月一緒にいれば相手が何を望んでいるか、何で困っているかは大抵は察しがつきます。
わざわざカードを使わずとも彼女はそれで満足しているようです。
よって1年目の年度末の先生同士の反省では「やはりカードは定着しない」「意味がないからやらなくてもいいんじゃないか」という結論に達しました。「出来るようにならないんだから意味がないのではないか」という結論です。
それでも私は2年目になって更新はしていましたが、頻度はぐっと下がったんです。
さらにクラスには新しい子らが入ってきて、先生らはそちらの子への対応で手一杯になりました。
私も意識はそちら向きます。
カードの更新がなくなったこと、先生らは他の子へ注意を向けていること。
これらは先生の都合であって彼女には分からないですよね。
おそらく彼女は「先生は私のことはどうでもよくなったんだ」と感じていたのだと察します。
悪いことを始めたのは寂しくなって、自分へ注意を向けて欲しくて反抗的になっていったんです。
そして元に戻る
その頃の私は「解決の糸口は外見上の行動でなく、内面に隠れている」という経験を何度か積んでいるので、原因を探っていきました。
そして私が彼女に対して2年目で変わったことは「カードの更新だろう」という結論に。それが寂しさの一つの原因だったと推測しました。
私はもう一度彼女のコミュニケーションカードの更新を再開しました。
やがて彼女の数々の問題行動は緩やかになっていきました。原因は先述の通り「寂しい」だったんだと思います。
外見を整えるのではなくて
自省を込めて言いますが、目に見えるものを信じると失敗します。
外見上は楽しそうに、問題なく行動している子でも内面では辛い感情を抱えていたりします。
反抗的で悪態をつく子どもにも裏側では両親に構ってもらえないなど複雑な事情をかかえていたりします。
「出来ることが増えたか」
「みんなと同じことをやっているか」
「テストの点数や運動能力が高まったか」
といった目で見える部分だけを評価したり、「見た目出来ているから」と安心していると足下すくわれるんです。
例えばですね、問題行動を起こしたとき「コラ!なんでそんなことするんだ!」という怒りの気持ちが湧いてきます。
その感情をそのまま出すと子どもによっては良い子にするかもしれません。
でもそれは外見上行動が整っただけで、怒らない先生の元では素の姿になります。
またその子が大きくなり、大人と同じだけの力を持つと「仕返し」のように反抗的な態度になったりします。
そんな子どもの姿を何度みていくと「外見整えても意味ねーな・・・」って何度も反省したんですよ。
学校の先生に多いのもこのパターンです。外見上を整えてしまうんです。
学校が外見上、つまり秩序という正義が頂点にあるんです。
秩序が守れる子には報酬があり、守れない子には罰があります。
学校では問題の泥沼化が起こります。
それは大原則の「正義より愛情が先」が忘れられているからです。※私も忘れてましたが・・
外見上は意味のないコミュニケーションカード
彼女は私が担任する前からコミュニケーションカードへの取り組みをやっていました。
以前やっていたカードは市販されている汎用性のあるカードでした。
彼女は私が担任する前は結構な問題児だったそうです。モノを投げたりしてたんですって。
なので、このカードは彼女の心を満たしていなかったと推測しています。
自画自賛みたいですが、私の作っていたカードは彼女の心のどこかを満たしていたのでしょう。
私のカードの特徴は彼女の好きなアイドル、よく観るテレビ番組、兄弟姉妹の名前、好きな晩ご飯メニューやお菓子などです。
彼女専用の「彼女らしさ」を全開にしたカードです。
そして彼女は好きなテレビやアイドルが変わると私に更新の依頼をしてきました。私は彼女の変化に応じてカードを作りました。
そのやり取りが彼女の心を満たしていたんです。
分かりますでしょうか?
本当の意味で子どもの行動を変えるのは怒ることや正義や秩序ではないんです。
絶対に愛なんです。愛情をこちらが渡すから子どもたちは耳を傾けてくれます。
先生の経験から言いますが、学校は本当にこの原則を見落とします。
もしうまくいかない場面が出てきたら原則を思い出してください。
子どもを成長させるのは正義より愛です。
これはもう世界の大原則なんです。