私は以前は特別支援学校で先生をやっていました。

そして、この記事を書いている、つい先日「成人を祝う会」というのに参加していました。

 

成人を祝う会とは特別支援学校(養護学校)で開かれる”成人式”です。

 

地域の成人式に参加しない子や同窓会的な意味あいも込めて、私が以前いた学校では学校独自の”成人式”をしているのです。

 

心の真っ直ぐさに驚いてしまう

特別支援学校には独特の空気感があります。

その空気感を作り出すのは子どもたち。先日の成人を祝う会では久々にその空気感を感じました。

 

毎回心に響くのは彼らの真っ直ぐさです。

嘘をついたり、見栄を張ったりしません。自分が満たされれば、それ以上に欲張ったりもしません。

 

好きなものに対しても、素直に好きと言えます。

 

例えば、私が担任していた時には「田中先生好きよ-」と毎日言ってくれる男の子がいました。(あ、私は田中と申します)

本当に毎日言ってくれます。

そのたびに私は「あぁ、俺幸せな仕事してるな」と感じるのと同時に「好きなものを好きと言えるかって大事だよな」と教えてもらいました。

 

彼は知的障害のある子でしたが、本当に真っ直ぐでした。そして正しい。

 

本当はみんな「好き」とか「愛している」とか言えばいいのです。

でも人の目や恥の概念、自分が傷つくのが怖かったりで言えません。

 

それでも「伝えなきゃ」と思ってイベントや贈り物、時には人の力を借りてまでして「好き」と伝えます。

でもそれは周り道で、素直に毎日言っていいし、言った方が良いでしょう。

 

で、その子は毎日好きな人に「好き」と言えるんです。

毎日「好き」「ありがとう」そんな感謝の気持ちを持ってそれを伝えている。

 

世の中の多くの人が磨き上げて目指す人格を彼らはすでに持っています。

久しぶりの子どもたちとの対面にそのことを強く感じました。

 

イチローやジョブズの考えや言葉に注目が集まるのはなぜか?

メジャーリーガーのイチロー選手やアップル社のジョブズ氏など、前人未踏の結果を生みだす人の言葉には注目が集まります。

 

その理由は単純に「イチローやジョブズ氏はスゴイから」というものです。

『結果を出しているイチローやジョブズの思想を学ぶことで、何か自分の人生にプラスになるんじゃないか』

そんな考えの人が多いはずです。

 

ただもう一つあります。

人は自分より遠い存在の人の言葉に興味をもつのです。

 

例えば毎日顔を合わせている学校の先生と一日だけ来た人の話では同じ内容でも聞く耳が違います。

日本人の舶来コンプレックスも同じようなもので、自分たちの文化に近い近隣国の文化よりも遠い西洋諸国の文化に興味を持ちます。

 

でもこれは合理的な考えで、多くの場合物事を大きく変えるのは遠い距離にある存在からです。

 

世の中にある画期的なアイデア、例えば回転寿司は工場のベルトコンベアという寿司業界から全く関係のないところから来ています。

マクドナルドのチキンナゲットのアイデアは日本食の天ぷらだそうです。

歴史で言えば明治維新という改革は西洋諸国から来ていますよね。

 

身近ではない、遠い距離にいる存在というのは実は成長のきっかけをもっているものです。

 

障害ある人は”心の有り様”を教えてくれる

障害ある人から学べることは多くあります。

 

例えば、先日の学校で成人を祝う会では私にマイクが回ってきました。そのとき私は緊張しました。

緊張の理由は「かっこよく見られたい」からです。見栄を張ろうとしている、ということですね。

 

でも生徒たちは物怖じせず自分の気持ちを堂々と話します。

 

緊張しないですむにはどうすればいいか。

彼らのように話せばいいんです。自分の思うことを素直に伝えればいい。他人の目を気にしなければいい。

これは普段はなかなか気づけないこと。障害ある人と接するから学べることです。

 

これは知的障害の人からだけではありません。

例えば身体障害の人でも同様です。

 

私は車椅子に乗る人と出かけることが多いのですが、彼らは自分の出来る、出来ないを見分けて言います。

「あ、これ俺には出来ないわ」とあっさり言うのです。

 

こんな言葉を聞く度に私は「自らの出来ないことをここまで素直に言えるだろうか」と己に問い詰めています。

 

もちろん、全員が全員心が素晴らしいとか言うのはないんです。

ただ彼らと接すると日常では気づかないことに気づけて、自分自身が変わるきっかけをくれます。

 

私は障害ある人から心の有り様を学んでいます。

 

ただ、心が閉じているのが問題

障害ある人は心の有り様を教えてくれる

 

このことは障害者福祉にいる人であれば珍しくない意見。

ただ一般的ではありませんし、普段接している人の中でも気づかない人がいます。

 

それはなぜか。

 

それは心が閉じているからでしょう。

 

心が閉じているという表現だけでは分かりにくいかもしれません。

 

より具体的に言うと

自分は障害ある人を教える立場、導く立場、という指導者の思想

健常者と障害者では健常者の方が上である

といった通念が社会全体にあるからです。

 

また心の有り様とは目に見えません。目に見えないもの伝わりにくいもの

 

普段、街中を歩いてて「この人いい人だ」「心の有り様が素晴らしい」とは分かりませんよね。

 

心の有り様は何回か会って、時間を過ごして初めて分かること。

 

つまりすでにある社会通念や目立ちにくさから障害ある人の心の有り様は伝わりにくいのです。

 

逆説的に言えばイチロー選手やスティーブ・ジョブズ氏は大記録やアップル、iPhoneなどは非常に分かりやすい凄さです。

だからみんなが「何か学べるんじゃないか」と思い、そこに目が集まります。

 

でも障害ある人も同じなのです。実は学べることは沢山あります。

ただ目や数字では表現できないか分かりにくく目立たないのです。

 

もっと多面的に見られれば

世の中には「障害ある人は弱者で守られるべき存在」というのは通念としてあると思います。

 

同時に「障害ある人は私たちの知らないこと、忘れていることを教えてくれる存在」というもう一つの見方が生まれれば、この世界は変わるんじゃないかなぁ、と思うのです。

 

簡単に言えば「多面的に物事を見る」ということですね。

世の中全体は障害ある人の「出来ない部分」しか見ていません。でもそうじゃない。

 

それが伝わればいいのだと思います。

 

障害者福祉の世界にとどまってはダメなのではないか

これは私の尊敬する人の言葉。

その方はこれまで学校や福祉施設など色んな場所で数々の講演会をしてきました。

ですが「世の中は変わらなかった」と感じるそうです。

 

そして「障害ある人の世界にだけ訴えて共感しあっていてはダメなのかもしれない

と言っていました。

 

考えてみるとそうかもしれません。

 

障害ある人は世の中では少数派です。

その中で「障害ある人は心の有り様を教えてくれるよね」と知っているもの同士で共感しあっていてもあまり意味がない。

 

むしろ、それでは障害者福祉の世界にいる人の意識すら変わらないのかもしれません。

 

理由は福祉の世界にいる人も、そうじゃない世界の人から影響を受けるからです。

 

例えば、私の高校や大学の友人は普段障害ある人と関わっていません。

中には普通に差別的・・というと大げさですが、それに近い発言をするものもいます。

ただその友人も知らないだけです。

 

例えるなら「業界人しか知らない話」というのがどこにでもありますよね。

 

芸能界や家電業界、ファッション業界などその業界にいるものでしか分からないことがあります。

普段障害者福祉の世界にいない人には絶対分からないことがあります。

 

ただ他の業界では「業界人だけ知っていればいい」で問題はないのかもしれません。

ただこの障害ある人の世界は「業界人だけで共感しあっていてもダメなのではないか」そんな風に思います。

 

仕組みとしてそうなっている

どうも私は我が道を行くタイプのようで、あんまり周囲からの影響を受けないのですが、我が道を行かないタイプの人はそんな周りの意見に聞き入るはず。

 

例えば2016年に相模原市で起きた事件の犯人の言葉は私からすれば「は?何言ってるの?」と思えるほどに理解不能です。

だって私は障害ある子どもたちから心の有り様を学んで「あー俺って幸せ」とまで感じています。

犯人の主張とは真逆といってもいいのかもしれません。

 

ただ世の中的にはそうではないようです。

感覚的な話になりますが、相模原市の事件のように世の中にいれば、固定観念である「健常者は障害者より優れている」のような感覚になっていくのでしょう。

 

つまり

「心の有り様は目に見えないから分からないのは当たり前。だから世の中には伝わらない」

「本来伝わるべき人も周りにもっといる『知らない人たち』に囲まれているから伝わらないんじゃないか」

ということです。

 

誰かが悪いとかではなく、仕組みとしてそうなっているという話です。

 

つまり障害者福祉の世界を変えるには、世の中全体も一緒に変えないといつまでもこのままなのかもしれないのです。

 

ではどうやって変えるのか?

世の中全体が「障害ある人は心の有り様を教えてくれる」そんなことを知れば、障害者福祉の世界も必ず変わります。

これは間違いのない話。断言できます。

 

大事なのはそのための方法です。

 

では、その方法は。

 

 

その方法は・・・

 

 

その方法とは!

 

 

・・・分かりません。

photo by Valerie

 

いや、本題はそこではなく

「分かってから書けよ」

というツッコミおっしゃる通りです。すみません、もう少しお付き合いを。

「現時点では分からない」ということです。

 

まとめると「世の中の価値観自体を変えないと本人自身も変わりきれないんじゃないか」ということですね。

例えば本人だけ「私には価値がある!」と思っても周りが「もっと頑張らないと」「世の中に貢献しないと」という価値観では自分らしく生きられないですよね。

 

そして「世の中の価値観を変えられるのか?」というと方法はあるはずです。

障害ある人から学べることはあるんですから。ただそれが分かりにくいだけ。それを分かりやすく伝えられればいい。

 

ジョブズのiPhoneやイチローの世界記録のように分かりやすく伝えればいいんですよ。

 

あとはその表現方法です。

・・・それはまぁ「今後に続く!」ということで模索します、はい。

 

そして最後もうちょっと読んでください。

 

もっともっと自分らしく生きていいのだと思う

私が言いたいのはこういうことです。

 

「もっと自信を持っていい」

「世の中の貢献とか考えなくてもいいから、もっと自分の人生を充実させることを頑張ればいい」

 

そういうことなんです。

 

世の中の人は「見えてない」んです。

でもそれは仕組みの問題。見えにくい仕組みになっているんです。

 

世の中の人が障害ある人の多面性に気づけない。

でも障害ある人から学べることは多くありますし、それは私だけの意見でもない。

 

私はもっともっと自信をもって、自分の人生を歩んでいけばいいと確信しています。

 

ちょっと反省すべきことかもしれませんが、先日の成人式でもずっと思っていました。

「自分の人生を充実させることにもっとがんばれ」

ということです。

 

でもテレがあったり、周囲の目があったりで言えないんですね。昨日も言えませんでした。

代償としてここで言います。

 

「自分の人生を充実させることに全力投球してください。それでいいんです」