感性は鈍化する

まだ続いていますが、日大アメフト部のタックル問題が日本中を騒がしていました。

最近ではボクシング協会連盟の会長問題が噴出しています。

接待や会長への感謝を求める姿勢、裏金問題などですね。

 

どちらも現場にいるトップが非を認めないということ。

ふんぞり返っており、謝ることが出来ないということです。

 

会長・理事長・監督etc・・・

似たような人は職場でもいると思います。

こういった方々は往々にして目が据わっています。

 

正反対なのは無邪気な子どもです。

想像してみてください。

会長も監督も昔は無邪気さのある子どもだったんです。

純粋にボールを追いかけたり、スポーツをしていた時期があったはず。

なぜ人は無邪気さを失うのか。

 

答えは感性にあります。

感性とは感受性です。

自然をみて美しいと思い、音楽を聴いて心揺さぶられる感じるもの。

 

感性は硬化します。

身体と同じです。

身体は年々堅くなるのと同じでケアしなければ感性も硬化していきます。

 

「感性の鈍化」です。

鈍化するので、感じないのです。

 

例えば草花を「草花だ」としか思わないのです。

自動車を「自動車だ」としか思わないのです。

 

客観的には合っているのですが、鋭敏な感性があればオリジナリティーが出てきます。

草花を見て「元気そう」「寂しいんじゃないか」と擬人化する人もいます。

自動車を友人のように、相棒に思えたりもします。

 

感性があると世界は賑やかになります。

 

感性がなくなると、人間は何を頼るようになるか。

見て分かりやすいもの、刺激の強いものを欲するようになります。

お金、権力、地位、高級志向などです。概ね上に行きたがる人は二つに一つです。

その仕事がしたいのか、地位がほしいのか。

地位を意識する人ほど謝れなくなります。

 

私は子どものころはセミの抜け殻を大量に集めていました。

きっかけは祖母が「はい。これ」とくれたことです。

小学校1年生くらいだったと思います。

抜け殻にリアリティを感じ「かっこいい」と思ったのです。

 

祖母宅には庭があって、集めていきました。

家に帰ってからは公園や神社などへ行き、また集めていました。

勉強机に抜け殻を置いて、頭の中でストーリーを描いていました。

地球防衛軍の地中ロボットのように思っていました。

 

もちろん、セミの抜け殻は地球防衛軍の地中ロボットではありません。

セミにとっても脱ぎ捨てた不要物です。

 

ただそう思えた方が日々は賑やかなのです。

誰にも分からない私だけの世界ですが、要は子どもは感性をふんだんにもっています。

ここが大事です。

感性とは鈍化もすれば鋭敏化もします。

その気になれば調整出来るのが感性です。

 

感性が完全に硬化すれば、元に戻るのは困難です。

何も感じない。思わない状態になっていきます。「自分ロスト」の状態です。

※詳細はこちら【自分ロスト】

 

今回の事件の人たち。会ったことはないですが、まずロストしているでしょう。

人は善ですが、強い権力は人を狂わせやすいものです。感性が狂うのです。

 

困ったことに感性というのは、点数化が難しいものです。

セミの抜け殻は子どものころの私にとってはプライスレスな逸品ですが、今はただの抜け殻。

あっさり言えば自己満足の代物なので、他人は関係ない。

 

世の中は客観化を求めます。会社も学校も高い数字を重宝します。

感性というのは、あまり評価されません。

アーティストになるなら別ですが、お金や地位とは関係ないものです。

 

なので大ピンチなんです。

感性をみくびってはいけません。客観化出来ないものに価値はあります。

 

夢を持ちたい、優しい人になりたい、小さな変化に喜びを感じていたい。

そう願われるなら感性への意識です。

センチメンタルに言っているのではなく「感性なくしたら終わっちゃいますよ」の意味あいで言っております。

 

再び言いますが感性は鈍化もすれば、鋭敏化もします。

どこまで鋭敏化するかはその人次第ですが「悪い事をしても謝れない」という精神状態を幸せとは思えません。

 

「ありがとう」「ゴメンナサイ」が素直に言える人の方が幸せです、本当に。

感性の鈍化に気をつけてください。